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『真田丸』を盛り上げる「大坂五人衆」は時代に遅れたリストラ組

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2016.12.10 12:00 最終更新日:2016.12.10 12:00

『真田丸』を盛り上げる「大坂五人衆」は時代に遅れたリストラ組

『写真:AFLO』

 

 物語のクライマックス「大坂の陣」が盛り上がっているNHK大河ドラマ『真田丸』。

 

 真田幸村とともに、徳川軍に決戦を挑むのが、「大坂五人衆」と呼ばれる面々だ。彼らは歴史上、どんな人物だったのか。歴史家・作家として著作も多い加来耕三氏(58)が、その知られざる人物像を明かす。

 

 まずは、主人公の真田幸村から。幸村は、「稀代の英雄」のように描かれているが、加来氏は疑問を呈する。

 

「14年もの間、九度山で蟄居(ちっきょ)生活を送った幸村は、このまま朽ち果てたくない、華々しく散りたいという思いから大坂城へ入った。

 

 でも、彼が世間に出てきて武将として活躍したのは、49年の生涯で『大坂の陣』があった、たったの7カ月。かつて、徳川軍を二度撃退していますが、あれはあくまで父・昌幸の秘書をしていたようなもの。実戦でどこまで通用したのかは疑問です」

 

 九度山での蟄居中、昌幸から軍略を習い、「打倒・徳川」の機会を狙っていたと思われているが、じつは子作りに精を出していたという説も。

 

 一説に、幸村は九度山で2男4女をもうけたといわれている(それ以前、3人の娘がいたとも)。

 

 幸村に対抗心を露わにする後藤又兵衛は、豪傑として知られる。

 

「彼はきわめて優秀な人間で、合戦もうまかったが、嫉妬心が強いのが難。兄弟のように育った黒田長政へのライバル心のあまり、なぜ、俺が長政の下で働かなければいけないんだ、と。

 

 その結果、又兵衛は黒田家を出ていくが、出ていかれた長政はメンツを潰された。あいつだけは許さんと、ヤクザの破門状と同じ奉公構(ほうこうかまえ)を出す。

 

 能力もキャリアもあったが、どこの大名も奉公構のために仕官できず、京都で落ちぶれた生活を送っていたという説もあります」

 

 最年少ながら、家康を脅かす活躍をした毛利勝永は、知名度が低すぎるのが玉にきず。

 

「非常に、幸村とよく似ている。彼も土佐で蟄居していたが、脱出して大坂城入りします。

 

 相思相愛の奥方の逸話のほうが有名。豊臣家のためにもう一度戦いたいが、家族を残していくのが心配だ、と悩む勝永に、『あなたが負けたら私も自決します』と、尻を叩いて送り出した立派な奥方です」

 

 最後の2人は、明石全登 と 長宗我部盛親。

 

「明石は、局面局面の戦い方でいったら、五人衆のなかでいちばんうまい。ただ彼の目的はキリスト教の布教で、秀頼への忠義はない。彼の生死はわかっていないが、大坂の敗北が決定的になった瞬間、部下のキリシタンたちを連れて、さっさと逃げたんだと思います。

 

 長宗我部は、ひと言で言うと情けないやつ。あれほど馬鹿馬鹿しい人生を送った武将は、歴史上いない。関ヶ原で一発の銃弾も打たずに改易となり、大坂の陣では、最後は腹をくくって突撃すればいいのに、戦場から逃げ出して、挙げ句の果てに
捕まって、処刑されて晒し首になりました」

 

 5人の生き方を辿ると、必ずしも優秀な武将ばかりとは思えない。

 

「大坂城に籠った武将たちは、いわばリストラ組。今の日本人とよく似ている。夢よもう一度と、彼らが豊臣再興の幻想に縛られたように、高度経済成長のころを夢見て、客観的な判断を怠り、時代の転換期についていけなくなっている。

 

 日本が凋落していくさまは、大坂城が消えていくのと同じプロセス。まさに歴史は繰り返す。そのことを描こうと思っているのなら、『真田丸』は大成功ですね」

(週刊FLASH 2016年11月29日、12月6日号)

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