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「君は1000%」カルロス・トシキ超ロングインタビュー「今はニンニクが本業」エンタメ・アイドル 2017.03.07


カルロス・トシキ

 

――『君は1000%』がヒットする感触はありましたか?

 

考えてなかった。もちろん、結果は出さなきゃいけないけど、歌える喜びで満足してたんです。ヒットするのは大事なことだけど、自分が精一杯やって、歌に満足できるという喜びがいちばん大事だったんです。結果は後からついてくる。まさにそうだった。いきなりドラマの主題歌でしょう。発売と当時に「ザ・ベストテン」のスポットライトに出て、全国放送の生番組に出演。そこまで素人だった自分がね。人の前で歌うのが苦手な自分がいて、その緊張がすごかった。必死に一生懸命歌うだけ。プレッシャーはすごかった。なんていうのかな、その前までの4年間がアルバイトをしながら4畳半での生活で、限られたお金の中で暮らして、友達もあまりいなかった。日本人と知り合う機会があまりなくて。デビューして、ヒットして、みんなが友達になりたいって集まってきた。テレビに出た次の日から街を歩けなくなった。シンデレラの世界。街を歩いたら、「カルロスだ」って人が寄ってくる。外出するのもどうしようって感じ。それまであんまり相手にされなかったのに、こんなに人が増えちゃって、人気が出て、売れちゃって。忙しくなって、みんなが友達になりたいって。その状況を受け入れるのに時間がかかりました。何が本当で何が嘘なのかとか。

 

――1986オメガトライブは、ヒット曲を連発しました。

 

ツアー、学園祭とね。必死でしたね。こなすことに必死。スピードが速すぎて。

 

――オメガを解散して、ソロになって、ブラジルに帰国。このときの気持ちは?

 

複雑でした。年齢も年齢だったし、35歳。将来のことを考えたら、自分の国に帰らなきゃいけない。で、そこからの10年間、なにがなんでも全力で頑張ってみる、必死にやる、って計画を立てて。10年過ぎたらもう体力的に出来ないから。大学受験にしてもね。

 

――48歳で国立大学に入学。そこからやるってすごいですね。

 

やらないとできない。ブラジルは厳しいです。貧富の差が激しいし、経済も難しい。自分は特別な資格がないと生き残れないというのはわかってた。日本で鍛えられたところもあって。ちゃんと資格を持ってないと、ブラジルで勝負に勝てないとわかってた。

 

――音楽では勝負しなかった?

 

無理だとわかってた。だって、僕は日本の音楽が好き。サンバやボサノバって、自分の血の中にないもの。絶対、サンバは黒人のほうがナチュラル。自分は歌謡曲がいちばんナチュラル。日本の歌だと演技もマネも必要ない。ボサノバやサンバは、僕には無理。

 

――だからビジネスをやろうと。

 

そう。いまの仕事に出会ってから15年かかったけど。

 

――現在のお仕事はどう紹介したらいいですか?

 

種屋さん(笑)。向こうではね、バイオファクトリーっていって、いわゆる植物の工場。苗、種とかね。ビニールハウスがあって、種とか苗とか作って。じゃがいも、ニンニクとか。その種をウイルスフリーにして、農家に販売する会社です。

 

――また、こうしてステージに立ったわけですが、ブラジルで歌ってなかったんですよね?

 

ぜんぜん。お風呂場でも歌ってない。カラオケでも歌ってない。それだけ、この仕事に専念してました。朝、6時半に起きて会社へ行って、夕方5時まで仕事して。大学は午後6時半から夜の11時までなんです。それから家に帰って12時に寝て。それを予備校の1年を入れて6年間。だからね、歌どころじゃない。時間がある限り勉強してました。

 

――もう一度歌ってみよう、ツアーをやってみようと思ったきっかけは?

 

ずっと、Facebook、LINEとか、日本のミュージシャンの友達と連絡は取り合っていたんです。4~5年前に、みんなが「カルロスと一緒にやりたいから日本に来てよ。カルロスもったいないよ」って言ってくれて。僕は、「ありがとう、ありがとう」って言いながら、こっちは仕事に必死で。みんなは僕の事情を知らないからね。でも、すごく僕のことを大事に思ってくれてるんだっていうことは伝わってきたんです。「カルロスを呼べるように、こっちで動いてるからね」「えー、でも無理だよ」って。まだこっちの仕事もあるし、会社を1カ月も休めるわけないし。2015年の11月かな、バンドのプロデューサーのマーティ(マーティー・ブレイシー)からメッセージがきて、「喜んでいいよ。ライブが決まったよ」って。大阪、東京、名古屋、福岡って。えー!って(笑)。でも、来年だったら行けるかもしれないって思った。仕事でいい結果が出て、認められて。この5年間、まとまった休みを取ってなかったから。2016年だったら日本に行けるかもしれないなって。そのとき、初めて頑張ってみようと思った。

 

――バンドメンバーの声がけがきっかけだった。

 

僕は何もしてないです(笑)。

 

――もう一度、歌いたいと思ったことはなかった?

 

大学と仕事に追われて、考える暇がなかった。僕に、ニンニクのプロジェクトを全部任せると言われて。信じてくれた人に、お返しをしなきゃいけなかった。音楽どころじゃなかった。それで、去年、2016年だったら、もしかしたら出来るかもって、そこで初めてもう1回歌おうかなって思った。そこから発声や体作りを始めて。今回、来日までの2カ月で11㎏痩せました。そして、日本でのライブのチケットが完売したって聞いて。うわーって、すごいプレッシャー(笑)。結局、ビザの問題でライブは延期になったけど。自分はきちっとやりたいから、よかった。ファンのみんなが25年も待ってくれていたから、みんなを泣かせたい。待っててよかったって思わせたいし、いい加減なことをしたくなかった。ここ1年でまた歌う気持ちになれた。いちばんのモチベーションはファンの反応。チケットが数時間で売り切れって聞いて、これはすごいって。みんなが喜ぶライブにしないといけないって。

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