芸能・女子アナ
松坂慶子からベッキーまで世間を揺るがした「略奪愛」40年史 その1
芸能FLASH編集部
記事投稿日:2016.04.27 15:00 最終更新日:2016.04.27 15:00
「サンミュージックは来秋創立50周年を迎え、大々的に祝賀行事をおこなう予定だったが、ベッキー騒動で暗礁に。彼女がゲス男と正式に別れ、今年復帰しても“お通夜”状態は変わらない」(芸能プロ関係者)
今年1月、「週刊文春」で、ゲスの極み乙女。のボーカル・川谷絵音(27)との不倫愛を報じられ、芸能活動休止にまで追い込まれたベッキー。
既婚男を独身女が奪う“略奪愛”は「芸能界では珍しくない」と語るのはベテラン芸能記者のX氏。
「そもそも“略奪愛”という言葉を最初に使ったのは週刊誌『女性自身』。42年前の1974年1月、東京・帝国ホテルで十朱幸代(73)が記者会見を開き、『彼が一方的に別れたいと言い出しました』と結婚していた歌手の小坂一也(享年62)との離婚を告白。
別れた理由は語らなかったものの、小坂と松坂慶子(63)との不倫が原因だった。離婚後、2人はそのまま同棲を始めたが、結婚には至らなかった」
芸能界のおもな略奪愛40年史、修羅場満載の黒革の系譜を検証しよう。
愛川欽也(享年80)がうつみ宮土理(72)と再婚したのは、 19年連れ添った妻と離婚した翌日の1978年11月18日。
「愛川の糟糠の妻は、俳優座養成所の同期生。会見で彼は『離婚も結婚も僕のほうから言い出した』と言っていましたが、6年前から交際していたうつみを庇(かば)っているようにしか見えなかった」(X氏)
前妻への同情は、うつみ批判に向かった。
「うつみは体調を崩して会見を欠席。愛川一人でマスコミ対応に追われた。代表的な“略奪愛”といえば、大竹しのぶ(58)。なにせ婚約者の目の前で相手の男性を奪ったわけだからね」(X氏)
1981年9月30日深夜、歌手・中村晃子(68)は、どしゃ降りのなか、婚約中だったTBSディレクター・服部晴治さん(享年47)の車を追った。
服部さんの車が停まったのは、大竹の自宅の前だった。
当時、中村は「2人のキスを見たときは悔しさ、憎しみを感じました。彼に『見てしまってごめんなさい』と言うと『見られたのなら仕方がない』と部屋を出ていきました。半年後に結婚する予定でしたが、大竹さん、彼をあげます」と赤裸々告白。
中村から婚約者を奪った大竹は“ドロボウ猫”と報じられた。
「私と服部さんがやや親しげな行動をしたので、中村さんを傷つけてしまったのは本当です。申し訳ないと思っています。でも、ラブシーンはありません」と、大竹は釈明するも、婚約破棄から半年後の1982年8月、2人は婚姻届を提出。略奪愛を完成させた。
翌年の1983年、同じく略奪愛を成功させたのは松田美由紀( 54)。松田優作(享年40)と前妻・美智子さんは演劇学校からの戦友。
1975年に結婚、翌年長女に恵まれたが、優作は1979年に『探偵物語』で17歳の美由紀と共演。1980年に不倫愛が公に。美由紀は“どっちの愛を取るか”と手首まで切って優作に命がけで迫ったという。おお怖!
1982年5月、前年に一般女性と結婚し、長女をもうけていた糸井重里(67)とホテルから出てきたところをキャッチされた樋口可南子(57)は、こう言い放った。
「妻子がある人を好きになったのではなく、たまたま好きになった男性が結婚していただけ。彼は青春の伴走者」
糸井は彼女の初ヌード写真集『贅沢な時間』をプロデュースした縁で不倫関係に…。
「自宅に帰れなくなった彼は車で寝泊まりする生活が続いた。妻は『娘が中学に入るまでは絶対離婚しない』と譲らず、2人が結婚するまで11年かかった」(仕事関係者)
離婚成立から2カ月後の1993年7月、糸井のマンションに引っ越す樋口の姿を写写丸がスクープ。
「糸井さんはフィギュアの収集家で、開けていない段ボールが家に山ほどある。樋口さんは大喧嘩後、その段ボールを捨ててしまった。『でも全然気がつかないの』とほくそ笑んでいた」(前出関係者)。
歌手・山下久美子(57)は、当時まだ無名だった布袋寅泰( 54)と1986年1月に結婚。3年間休業して布袋を支え続けた。
「山下が復帰した翌年の1992年、布袋は今井美樹(52)と出会い、新作アルバムを制作。布袋は、山下のバックバンドのガールフレンドとして今井を山下に紹介。3人の不思議な関係が続いていた。
1996年に彼がプロデュースした『PRIDE』が大ヒットし、 公私ともに“パートナー”になった」(X氏)
布袋と山下が離婚したのは、1997年11月。
「今井との再婚まで1年7カ月かけたのは、略奪婚の印象を薄くするため」(X氏)
その2に続きます!
(FLASH DIAMOND 2016年4月30日号)