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東京の人間は知らない「子供服ファミリア」こんなにすごい

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2016.11.07 06:00 最終更新日:2016.11.07 06:16

東京の人間は知らない「子供服ファミリア」こんなにすごい

ファミリアの顧客は皇室から芸能界まで!

 

 NHK朝ドラ『べっぴんさん』。神戸の山の手で生まれたヒロイン・坂東すみれが、有名な子供服メーカーを創業するストーリーだ。すみれのモデルは、子供服メーカー「ファミリア」の創業者の一人である坂野惇子氏。いったい「ファミリア」はなにがすごいのか? 10のポイントで紹介する!

 

(1)ファミリアは間借りした靴店のショーケースで始まった

 

 いまや大企業のファミリアだが、第一歩は神戸三宮のトア・ロードという商店街。知り合いだったモトヤ靴店で借りた、たった2つのショーケースに手作りの小物を並べた。店は口コミで広まり品不足に。
「惇子さんの父の会社に出入りしていた靴業者の元谷蓮氏が、感謝の気持ちからショーケースを提供した」(『ファミリア創業者 坂野惇子』の著者である中野明氏)

 

(2)父は「レナウン」創業者、現社長は「華麗なる一族」

 

 惇子の父は繊維卸売業の佐々木営業部を設立した佐々木八十八。後年、部下の尾上設蔵に会社経営をまかせ、貴族院議員としても活躍した。惇子の幼馴染みの尾上清は設蔵の息子で、戦後に佐々木営業部を復活させ、レナウンへと発展させた。

 つまり八十八はレナウンの創業者なのだ。さらに現在のファミリア社長である岡崎忠彦は、小説やドラマで有名な『華麗なる一族』のモデルとされる神戸発祥の岡崎財閥の子孫である。

 

(3)創業メンバーは4人の「深窓の令嬢」だった

 

 ファミリアの創業者は坂野惇子、彼女のクラスメイトの田村江つ子、江つ子の義姉・田村光子、友人の村井ミヨ子の4人。
「花嫁修行で手芸や洋裁、和裁とさまざまな習い事をしていて、いいものを見る目と、作るノウハウを持っていた。村井ミヨ子さんは洋画の巨匠、小磯良平に油絵を学んだ。みんな『深窓の令嬢』でした」(中野氏)

 

(4)子供服作りのきっかけは超高給のベビーナース

 

 惇子が自分の娘のために作った写真入れは、綿スエードの布地のまわりに刺繡が施されていた。モトヤ靴店の店主はそれをいち早く評価した。その後、惇子は、ベビーナースの大ヶ瀬久子に影響を受け、先進的な子育て法や子供用品に興味を持つ。「惇子さんが大ヶ瀬さんに支払った報酬は月150円。当時、帝大出の夫の通夫さんの給料は90円だったそうです」(中野氏)。

 それが子供服作りに結びつくのだ。

 

(5)ブレイクのきっかけは阪急百貨店社長の散歩

 

 会社設立後、1年もたたないうちに幸運が。

 後に阪急百貨店初代社長となる清水雅が、散歩中にファミリアの店舗を偶然、見つけた。
「1階と2階の一部がショップで、3階に事務所があったころです。商品を見てすぐ『これをぜひ阪急百貨店で売りたい』と頼まれたそうです」(約10年前に同社を定年退職した植田
重雄さん)

 だが、商品タグを阪急のものにつけ替えるという話に惇子は激高。結局、ブランド名は「阪急ファミリア」になった。

 

(6)ファミカバンは神戸の私学のお嬢様御用達

 

 デニム地にかわいらしいアップリケのついた通称ファミカバン。もともとピアノのレッスン本が入るカバンとして発売。「阪神間にあるお嬢様学校の中高生に聞くと、『みんな持っていますよ』と。9720円(税込み)と安くないのに、新作が出ると大行列ができます」(中野氏)。現在でも関西だけで80%の売り上げが。

 

(7)スヌーピーのぬいぐるみを日本で最初に販売した

 

 スヌーピーの輸入ぬいぐるみを日本で発売したのは、惇子の娘・光子がきっかけ。
「彼女がアメリカ留学から戻ると、スヌーピーをテーブルクロスなどに刺繡しはじめたんです。惇子さんと夫の通夫さんもファンになり、国内販売権を取得。1970年にぬいぐるみを販売開始し、1973年には11万3000個を売る大ヒットとなった」(中野氏)
 1976年にはピーターラビットの販売権も取得。

 

(8)皇太子さまも着て育った!顧客は皇室から芸能界まで

 

「美智子さまは学生時代、坂野家所有の六甲山荘を訪れ、惇子さんはお茶を出しています。その後、美智子さまが出産する際、ファミリアが衣類や家具など80点を納入。紀子さま、雅子さまがご出産された際も、同社が出産準備品を用意しました」(中野氏)。

 安めぐみ、藤井隆ら芸能界にもファンは多い。特に、神戸の松蔭中学・高等学校出身の南野陽子は、今でも小物入れを愛用している。

 

(9)憧れの「ファミリアチェック」誕生の秘密は!?

 

 ファミリアを代表するのは、オリジナルのチェック柄。創業当時は輸入品に頼っていたが、独自の生地の開発は惇子たちの念願でもあった。
「1948年当時、スコットランドのハイランド地方で生まれたタータンチェックが一般に広まった。惇子さんたちはこの柄を細部まで検討し、オリジナル生地の生産に乗り出しました。それがファミリアチェックです。今ではファミリアの顔ともいえます」(中野氏)

 

(10)創業翌年に早くも登場、熊の名前は「ファミちゃん」

 

 1951年ころ、惇子の希望で、後にファミリアのデザイナーとなる田村泰が描いた子熊のキャラクター。
「名前はファミちゃん。双子のリアちゃんという妹がいます。現在でもファミリアのマスコットとして活躍し、2匹が描かれたシャツはロングセラーです」(中野氏)

 

(週刊FLASH 2016年10月11日号)

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