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野村克也わが人生「貧困に勝つため歌手や俳優を目指した!」スポーツ 2017.01.11

野村克也

 

 1935年6月生まれ。その1年後にプロ野球が始まったこともあり、まさに球界の生き字引となった野村克也氏(81)。「今の日本球界にはリーダーと呼べる人材がいない」と、本気で球界の将来を心配している。選手、監督としても、まさに球界のリーダーだっただけに、その言葉は重い。

 

 そのノムさんが、いま、人生を語り尽くす! まずは天職となる野球と出会うまで。

 

■想像を絶する貧困時代 絶対に金持ちになる!

 

「野村家は半端なく貧困家庭だったから。父親は食料品店を営んでいたんだけど、日華事変で戦病死。そのため店を売り、母が働きはじめた。

 

 だけど、母は体も弱くて、稼ぎなんてわずか。俺も3つ上の兄と一緒に小3で新聞配達を始めた。当時は、『学校が終わったら早く帰って来い』と言われていた。畑の仕事など、いくらでもやることがあったからな」

 

 それでもいっこうに家計は好転しなかった。兄・嘉明さんとはよく「なんで俺たち、貧乏なんや」と愚痴をこぼし合った。

 

「自然に耐えることを覚えた。同時に、大人になったら絶対金持ちになる。そればかり考えていた。ただ、大学には行けないし、いい会社にも入れない。そこで個人でもやれることは何かと考えたとき、歌手だったんだな(笑)」

 

 組織に入れないなら、個人でリーダーとなって金を稼ぐ。それが、貧乏な野村少年に芽生えた考えだった。だが、もって生まれた声は低音で、音域に広さがなかった。

 

「同級生が『一度声を潰してみい。そうしたら高い音も出る』と。試しに、声を潰したけど、高い音なんて出ない (笑)」

 

 次に目指したのが、当時ブームとなっていた映画の俳優。

 

「大スターの演技を見て、セリフを覚えて、鏡の前で真剣に練習したよ。ただ、数カ月が過ぎ、ふと鏡に映る自分の顔を見たとき、『こりゃあ無理だ』と。

 

 スターは鼻筋が通った美男子。俺はこんな顔だろ。それで諦めた。もう少し早く渥美清や藤山寛美が出てきてくれてたら、俺もスターになっていたよ(笑)。

 

 そうそう、仲代達矢さんと対談したことがあって、その話をした。すると、目をいっぱいに開いて『それは映画界の損失だ』と言うわけ。

 

 冗談半分に聞いたけど、俺もしつこいから『もしやっていたら、どんな俳優になっていたでしょうか』と尋ねてみた。黒澤映画にもよく出てきた志村喬さんみたいな俳優ということだったよ」

 

 歌手も映画俳優も諦め、中学3年生でようやく辿り着いた野球。

 

「もう金持ちになるならこれしかないと、のめり込んだ。練習が終わっても家で素振り。ただ、母はおもしろくない。野球イコール遊びで、道具を隠されたこともあった。ポジションは最初から捕手。一人だけ防具をつけるから格好よくてな。以来、ほかはやったことがない」

 

 高校進学は母・ふみさんの反対があったが、嘉明さんの説得で京都・峰山高校工業化学科へ。だが、最弱校で京都予選はほぼコールド負け。3年間で1度しか勝てなかった。

 

 もはやプロ入りは風前の灯だったが、それまでも続けていた新聞配達が光明をもたらした。

 

「配る新聞を見ていたら、片隅に南海の選手募集の広告が出ていたんだ。それで、野球部の部長先生に相談したら、『お前ならひょっとするかもしれない』と背中を押してくれた。

 

 ただ、受けたくても京都の田舎から大阪球場までの電車賃がない。落ち込んでいると、先生が『俺が出してやる』と言ってくれた。つくづく人生は縁だと思ったね」

 

 テストは300人以上集まったが、打撃を買われ、狭き門を突破した――。

 

 ※次回は、球界に入ってから引退するまでをお送りします。

(週刊FLASH 2016年12月27日号)

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