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19年ぶり日本出身横綱誕生でも「稀勢の里」親方と不仲5年間

スポーツ 投稿日:2017.02.01 17:02FLASH編集部

19年ぶり日本出身横綱誕生でも「稀勢の里」親方と不仲5年間

 

「『先代の師匠と出会わなければ今の自分はない』『先代の指導をそのままやりつづけてどんどん強くなった』と、先代への感謝を繰り返し口にしていたのが印象的だったね」(ベテラン記者)

 

 1月25日におこなわれた稀勢の里(30)の横綱昇進伝達式でのこと。「先代」とは入門からの約10年間、稀勢の里を鍛え上げた第13代鳴戸親方(元横綱・隆の里)のことである。だが記者たちは、伝達式というめでたい雰囲気のなか、ある「違和感」を感じていたという。

 

「現在の親方に感謝する言葉が、最後までひと言もなかったんです」

 

 田子ノ浦親方(40)が、すぐ隣に座っていたにもかかわらず、である。
「稀勢と親方の仲は冷え切っている」と、明かすのはスポーツ紙記者だ。

 

「田子ノ浦親方は稀勢の兄弟子にあたり、現役時代は『隆の鶴』の四股名(しこな)で最高位は前頭八枚目。幕内にいたのは5場所だけで、自分の部屋を構えるには実績不足と言わざるをえない」

 

 弟子が横綱ともなれば、親方としての荷が重すぎる、ということか。

 

「親方はろくに指導もしないのに夜遊びが大好きなタイプで、そもそも指導者としての能力がなさすぎる。たいした理論もなく、稽古がとにかくぬるい。そんな親方に、稀勢は嫌気が差しているんです。稽古中に親方が『四股を踏め』と言っても、稀勢は目を合わさず『もうやりました』とすげなく答える。ほとんど口も利かない間柄というのは、角界では知らぬ者がいないほど有名な話ですよ」(同前)

 

なぜ、こんな事態になったのか。転機は、先代が急死した2011年だった。

 

「先代は厳しい親方で、手を上げることも多かった。対戦力士と馴れ合いが生まれると、出稽古は禁止。よくも悪くも頑固でひと筋だった」(専門誌記者)

 

 厳しい稽古に耐えた稀勢の里は、史上2番めの若さで幕内昇進。順調に出世したが2011年11月、心酔していた鳴戸親方が、59歳の若さで急死する。その後、部屋の継承問題で揉めたことが、そもそもの始まりだった。角界関係者が明かす。

 

「皆、三役を19場所連続務め、実績もある若の里が引退して継ぐと思っていた。すでに年寄株も持っていたからね。でも、若の里は現役にこだわった。そこでお鉢が回ってきたのが隆の鶴、今の田子ノ浦親方というわけだ」

 

 隆の鶴は若の里の同期で、2006年に引退。当時は若の里に「西岩」の名跡を借りて部屋付き親方をしていた。

 

「現役時代は、もみあげが話題になった程度。さすがに部屋を継ぐのは、本人も『やりたくない』と固辞したらしいが、周囲に押し切られた」

 

 こうして鳴戸部屋は継承されたものの、またもや問題が持ち上がる。

 

「『鳴戸』の名跡は先代の未亡人から借りており、部屋の実権を握っていたのは未亡人だった。2013年、協会から年寄名跡証書の提出を求められたが、未亡人は幕内八枚目の力士では名が泣くと、『鳴戸』を譲らなかった」

 

 名跡がなければ親方ではなくなり、部屋も消滅することになる。

 

「追いつめられた親方は、2012 年に親方が亡くなって空いていた田子ノ浦(元幕内・久島海)の名跡を取得、弟子を引き連れて鳴戸部屋を出た。2014年の年末、東小岩の部屋が完成してようやく落ち着いたわけだが、稀勢はさんざん振り回された。ゴタゴタ続きにうんざりしていたんだ」

(週刊FLASH2017年2月14日号)

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