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【6期生デビュー10周年企画①】元SKE48竹内彩姫「アイドルに関しては無知だった」意識の差に尻込みしたオーディション

AKB・坂道 投稿日:2023.03.31 21:00FLASH編集部

【6期生デビュー10周年企画①】元SKE48竹内彩姫「アイドルに関しては無知だった」意識の差に尻込みしたオーディション

デビューから10周年を迎えたSKE48の6期生メンバー。3月には記念ライブも開かれた。その陰には“裏方”に回ったかつての同期・竹内彩姫さんの支えもあった。運営スタッフとして第二のキャリアを進む竹内さんと、今もなお表舞台で脚光を浴びる6人のストーリー。その第1回。(取材&文・伏見学)

 

カチカチカチ―。乾いたクリック音が静かに響く。

 

名古屋市内のとあるオフィスビル。軽快なR&Bミュージックが流れる室内で、一人の女性がPCモニタに映し出された写真を一枚一枚、念入りにチェックしている。しばらくして、「ふうー」と一息つくと、整頓されたデスクの上にあるマグカップに口をつけた。

 

「普段は、メンバーが出ている雑誌の原稿や写真を確認したり、SKE48のプレスリリースを作成したりしています。あとはラジオ局やテレビ局に訪問して、所属アーティストの宣伝をすることも。営業と広報を合わせたような感じの仕事ですね」

 

こう話すのは竹内彩姫さん。元SKE48のメンバーで、現在は同グループのマネジメント会社であるゼストの社員として働く。毎日朝9時に出社してテキパキと業務をこなし、午後6時ごろにはオフィスを出る。夜は友達と一緒に食事を楽しむこともしばしば。就職してもうすぐ2年。憧れだったOL生活を満喫している。

 

竹内さんはSKE48の第6期生オーディションに合格し、’13年からアイドル活動をスタート。徐々に頭角を現わし、’16年以降はシングル表題曲の選抜メンバーの常連になるなど、順調にキャリアを築いていった。

 

他方、皆がうまくいくほど甘い世界ではない。当初20人いた6期生は年々減っていき、’21年5月に竹内さんが卒業すると、青木詩織さん、井田玲音名さん、鎌田菜月さん、北野瑠華さん、熊崎晴香さん、日高優月さんの6人になった。

 

しかし、その後は一人も欠けることはなく、今年3月5日には10周年記念ライブの開催にこぎつけた。デビューから10年経っても同じ期でこれだけの人数が残っているのは、SKE48はもとより、48グループ全体でも異例だ。そんな同期の10周年記念ライブという晴れ舞台を、竹内さんは運営スタッフとして見守った。

 

裏方にまわった竹内さんの存在について、メンバーは次のように評する。

 

「公演のパフォーマンスなどについて、アイドル目線と運営目線の両方で見ても良かったと言ってくれて。今まであまり褒められることがなかったけど、さきぽんにそう褒めてもらえたのが嬉しかったです」(青木さん)

 

「『玲音名のここが良いとおっしゃっていたよ』と、お仕事をさせていただいた関係者の声を、きちんと私にまで届けてくれます。それもすぐに。早く伝えてあげようという彩姫の優しさがありがたいです」(井田さん)

 

アイドルを卒業し、新たなキャリアを歩む竹内さんと、今もSKE48で活動する6人。竹内さんのストーリーを中心に、それぞれの10年と、そこで芽生えた6期生の「絆」に迫る。

 

好奇心旺盛で、習い事の毎日

 

「親が言うには、小さいときから人見知りがなくて、誰にでも懐くような子だったと。泣くこともなく、ずっと楽しそうにしていたそうです」

 

’99年11月24日、愛知県で生まれた竹内さんは、両親の愛情を一身に受け、明るく健やかに育った。周囲に愛嬌を振りまく一方で、5歳下の妹の面倒も見るしっかり者だった。

 

小学校に上がると、すぐに学校が好きになる。誰よりも早く登校しては、率先して教室のドアや窓の開錠をした。また、学級委員を務めたり、学内の演劇ではヒロイン役に立候補したりと、皆に好かれる活発な少女だった。

 

好奇心も旺盛。なんでもやってみたい性格で、小学生のときはほぼ毎日習い事があった。習字、スイミング、テニス、バスケットボール、ダンス…。そんな竹内さんを両親もサポートした。「やりたいと思ったことを否定されたことは一度もないです」と竹内さんは顔をほころばせる。

 

最終的にのめり込んだのがダンスだった。母のすすめで小学3年生のときに、中日ドラゴンズの公式パフォーマンスチーム「チアドラゴンズ」のキッズメンバーになった。

 

「母が熱狂的なドラゴンズファンで、平日は学校まで迎えに来て、そのままナゴヤドームへ観戦に行くことが何度もありました」

 

すっかり“竜党”になった竹内さんは、母の提案に「やる!」と即答。週に2回ほどチアドラゴンズが運営するダンスレッスン教室に通い始めた。オーディションを受けてプレミアムクラスにも入り、さまざまなイベントに出演するようになった。さらに、ナゴヤドームでも年に3回ほどダンスを披露する機会があり、竹内さんは舞い上がった。

 

「初めてグラウンドに入ったとき、思ったよりも芝生がフワフワしていたのにびっくりしました。大観衆を前に踊るのは平気でしたが、普段テレビなどで見ている選手がすぐ近くにいることに緊張しましたね」

 

ちなみに、竹内さんが熱心に応援していたのは小田幸平選手。当時の正捕手だった谷繁元信選手の控えとしてチームを支えた、いぶし銀のキャッチャーである。

 

「私が観に行くといつも打ってくれるんです。ヒーローインタビューでもお客さんを楽しませてくれる話ばかりで、カッコよくて面白くて大ファンになりました」

 

大好きなドラゴンズや選手をすぐそばで応援できることにやりがいを感じ、キッズメンバーの活動は中学生になっても続けた。

 

SKE48の曲を知らずにオーディションへ

 

竹内さんに転機が訪れたのは中学1年の夏を過ぎた頃。

 

母が一枚のチラシを持ってきて、「これ受けてみたら?」とすすめた。チラシには「SKE48第6期生オーディション」と書かれていた。当時の竹内さんはアイドルに関して無知そのもので、絶頂期だったAKB48のメンバーもほとんどわからなかった。

 

「私にとっては、アイドルになりたいというよりも、踊っていられれば良くて。そこにかわいい衣装と歌もセットであるなんて、絶対楽しいはず。そんな理由でオーディションを受けましたね」

 

書類選考や面接などをパスし、最終審査の会場に行くと、周りはSKE48に対して情熱を持った人たちばかりで、意識の差に尻込みした。「私のオーディション番号の前後のコが、2人ともSKE48の曲を歌うと言っていて。さらに席の前と後ろにいたコも。でも、私は正直、SKE48の1曲も知らなくて…。ちょっと場違いかもしれないから、落ちた方がいいのかなって思ってしまいました」

 

歌唱審査で竹内さんが歌ったのは、いきものがかりの『ありがとう』。祖父が大好きで、一緒にカラオケで練習した曲だった。

 

心配をよそに見事合格。応募者6千682人の中から竹内さんを含む20人が、晴れてSKE48の第6期生になった。

 

【6期生デビュー10周年企画②】につづくー。




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