AKB・坂道
STU48キャプテン・今村美月「人生最後のオーディションに」心に誓った第1期生オーディション【特別インタビュー①】
AKB・坂道FLASH編集部
記事投稿日:2023.06.03 21:00 最終更新日:2023.06.05 12:17
他人をライバルだとは思わない
ASHに入るまでは、友達と和気藹々とした日々を送っていたのに、いきなり競争社会に放り込まれて、つらくはなかったのだろうか。
「多分、私、競争心がないのかな。あと、この子は本当に歌がうまいなとか、ダンスがすごくバキバキだなとか、尊敬できる人たちが周りに大勢いたので、たとえオーディションの結果が良くなくても、『まだ足りてないんだな』と納得しちゃう。悔しいというよりも、次はもっと頑張ろうと思っていました」
とはいえ、オーディションに落ちて悔し泣きしたこともあった。例えば、ソロオーディションでは、約8年間で1度しか合格しなかった。それでも、悔しい、負けたくないという感情よりも、今の自分なら仕方ないという考えが先に来ていた。
他人と比べてどうこうではない。とにかく歌って踊ることが好きだし、存分に楽しみたい。それが今村さんの何よりのモチベーションだった。だからつらい気持ちを顔に出すことなどほとんどなかった。今村さんのそうした明るく前向きな姿を見て、ASHに通い始めた地元の子もいた。
「小学校が同じだったことは後から知ったんですけど、1つ下の子がスクール見学に来たとき、ダンスレッスンしている私を見て、入りたいと思ってくれたらしくて。誰かの憧れや目標になるのがこんなにも嬉しいことなんだと実感しました」
パフォーマンス以外にASHで学んだものは何かと問うと、今村さんは「下積み経験」と「謙虚な精神」を挙げてくれた。
「スクール時代は、自分たちで衣装を集めたり、ご飯を調達したりするのが当たり前だったので、STUがすごく恵まれた環境にあることに感謝しています。あと、よく『謙虚だね』と言われるんですけど、それは今でも活躍している人たちが周りにたくさんいた場所で育って、自分なんてまだまだというマインドが常に頭にあるからです」
こうした経験が、STU48に入った後、ほかのメンバーとの技術レベルの差にも天狗にならずに、あくまで自己研鑽を貫くことができた以なのだろう。
アイドルという職業は現実的ではなかったが…
ASHに通い始めてからというもの、友達と遊べなくなっただけでなく、土日はレッスンなどですべて予定が埋まるため、家族旅行なども皆無だったという。
’13年7月にSPL∞ASHのメンバーになると、さらに多忙を極めた。グループでの仕事や、そのための自主練などで平日もレッスン場に足を運んだ。「スクールでの活動にすべてを捧げてきました」と今村さんは言い切る。
気がつくと今村さんは高校生になっていた。学校の成績は「中の下」くらいで、親から言われないと勉強しなかったというが、歯を食いしばって学業とアイドル活動を両立させてきた。
高校生活も半ばを過ぎ、進路を本格的に考える時期に差しかかった。今村さんは逡巡した。大学に進学するべきか、それともこのままダンスパフォーマンスの道を進むべきか。
「子どもの頃から夢を聞かれたら『アイドルになりたい』と言っていましたが、やっぱりテレビで見るような存在だったので、現実的だとは思っていませんでした。歌とダンスは好きだけど、ほぼ趣味のような感じでしたし」
ところが、いざ人生の分岐点に立ち、本当に自分がやりたいことは何なのかを自問自答し考え抜いた末、「歌って踊ることは生きがいだから、続けていきたい」と結論を出した。高校2年の冬のことだった。そんな今村さんに運命的なニュースが舞い込んでくる。地元・広島を中心とした瀬戸内エリアに新しいグループが誕生するというのだ。しかも、推しメンだったAKB48の渡辺麻友さんがオーディションのPR活動をしていた。
神様のお導きに違いないーー。これを人生最後のオーディションにしよう。駄目だったら大学に進学するか、ほかの道に進もう。今村さんはそう心に誓い、STU48の第1期生オーディションに臨んだ。
小学生の頃から山ほどオーディションを受けてきた今村さんでも緊張したという。ただ、広島での開催、しかも石田千穂さんや峯吉愛梨沙さんなど、ASHの仲間が一緒に受けていたため、終始アットホームな雰囲気があったそうだ。
’17年3月、今村さんはSTU48のメンバーに名を連ねた。