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岩井秀人「もう俳優はいいや」阿部サダヲとの舞台共演が転機
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2020.05.15 06:00 最終更新日:2020.05.15 06:00
「20何年通っていて、台本は全部、ここで書いたんです」
特別な場所ではなく、いつもの場所。俳優・劇作家・演出家の岩井秀人(45)には、生まれ育った東京都小金井市にある「デニーズ 小金井本町店」のザワザワ感が心地いい。
「おもしろいお客さんが、ちょくちょく現われるのが好きですね。覚えているのは、すごく具合が悪そうな、木みたいな人。今はないカウンター席で、ボロボロの文庫本を静かに読んでいるんですけど、何時間かに1回、突然爆発したように『ぶわっふぁっふぁっ!』って笑うんですよ」
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小金井で生まれ育ったことは、岩井の考え方や感覚に大きな影響を与えているという。
「出身地の話になったとき、東京以外の人には東京ぶりたいんですけど、23区内の人には引け目を感じるっていう。東京のど真ん中で起きていることに、小金井に住んでいる身としては、なんかやっぱり圧倒的な距離があるんですよ。
この距離感って、けっこう決定的で。“社会” っていうのが、どこかにあるんだけど、そこに全力で参加できない」
岩井は16歳から20歳まで、ひきこもりだった。昼間は部屋から出ず、夜になるとリビングで格闘技番組を観ては、小金井公園の木に括りつけたサンドバッグを蹴り殴る。そんな毎日のかたわら、映画を観まくったことで、俳優を志すようになった。
「それで、『桐朋学園』っていう大学に入ったら、舞台俳優の養成所みたいなところだったんですよ。舞台の演技って、映像と違って、しっかり立ち、しっかりしゃべることがベースにあるんです。
僕が好きだったのは、ジム・ジャームッシュのような、仰々しいシーンも派手なアクションもない映画だったから、そういうのを『クソダサいな』って思いながら大学に通っていましたね」
既存の劇団に所属しようとも思わなかった。
「何を血迷ったか、『無名塾』だけは受けました。そしたら、みんな仲代達矢さんみたいな顔してるんですもん。地を這うような声を出してて、『これも違うな』って。結果? もちろん落ちました」
演劇が大嫌いになって、大学を卒業した翌年、竹中直人が主宰する「竹中直人の会」の『月光のつゝしみ』(作&演出・岩松了、2002年)に、スタッフとして参加することになる。さりげない日常や会話のズレから、物語が展開していく世界観に、岩井は、“しゃべり言葉の演劇” の魅力を見つけた。
「岩松さんや、平田オリザさんの舞台には、現実にそのまま何かを持ち帰れるような感覚があるんです。自分の目で見ていた世界に、ほかの人たちの視点が加わるというか……。
観終わって、駅とかの公共の場に出ると、そこにいる全員に命が宿っていることを再認識できるんです」