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『超電子バイオマン』のピンク「牧野美千子」今は築地の女将

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2020.05.17 16:00 最終更新日:2020.05.17 16:00

『超電子バイオマン』のピンク「牧野美千子」今は築地の女将

 

 武器は「レーザーソード」だった。特撮ドラマ『超電子バイオマン』(1984年~1985年・テレビ朝日系)の “ピンクファイブ” を演じて女優デビューした牧野美千子(55)。番組終了後はレポーター、グラビアなどで活躍していたが、デビューわずか2年半で引退した。

 

「両親ともに検察官で、そもそも芸能界入りに大反対でした。グラビアのことは黙っていたんですが、父の部下の方たちが『娘さんのファンなんです』と話したらしく、父に『何やってるんだ!』と怒られて強制終了。私の芸能生活は終わりました。

 

 

 当時はバブル期で、私がサイパンに滞在して、出版社の方が何社も入れ替わりで来てグラビア撮影したこともありました」

 

 大学を卒業し、25歳で会社員の夫と結婚。専業主婦として穏やかに生活していたが、35歳のときに転機が訪れた。

 

「義父が長期入院することになり、主人が家業の佃煮屋を継ぐことを決めたんです。当時、店は億単位の借金を抱えていて、倒産寸前。私も店頭に立って働くことにしました」

 

 築地場外市場にある昭和4年創業の佃煮屋「諏訪商店」の5代目女将となった。

 

「卸業に加えて、はかり売りの小売店を始めました。ちょうどそのころ、築地の観光地化が進み、国内外からお客さんが集まるようになった。おかげで、商売は少しずつ上向きになっていきました」

 

 東日本大震災、市場の豊洲移転とピンチを乗り越えてきた諏訪商店を2020年に襲ったのが、新型コロナウイルスの猛威だ。

 

「春節にいらした中国の方は、例年の10%もいないくらい。そして2月中旬からは、日本の方も外に出なくなった。観光バスやはとバスが、まったく来なくなりました。『築地は観光客の方で成り立っていたんだ』と、つくづく思いました。

 

 うちは小売り以外に、居酒屋さんや小料理屋、バーなどに業務用のお惣菜を卸していました。毎朝のようにいらして、注文を聞かなくても商品を出すあいだ柄だったんです。

 

 でも今は、お弁当屋さん以外、注文がありません。お店をクローズされているんだと思います。3月の売り上げは80%減。でも、お店の地代を払わなきゃいけない。大変です」

 

 そこで始めたのが、佃煮を詰め合わせた「お篭りセット」「お篭り便り」の通販だ。

 

「嬉しいのは、特撮時代の仲間やファンの方々が、SNSで通販の情報を拡散してくれること。応援してくれる人たちの声が、私の力になっています。いまはみんなで頑張って、素敵な日本を取り戻すとき。アフターコロナに、築地で会いましょう!」

 

まきのみちこ
1964年10月3日生まれ 埼玉県出身 1984年、『超電子バイオマン』で女優デビュー。25歳で結婚。現在、佃煮屋「諏訪商店」の女将のほか、女優業も再開している。最新情報は、公式ツイッター(@MICO2617)、公式ブログ「築地ピンク女将日記」にて

 

写真・本人提供

 

(週刊FLASH 2020年5月12・19日号)

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