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渡辺裕之、行きつけのイタリアンで語る「大林宣彦監督の遺言」

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2020.07.07 16:00 最終更新日:2020.07.07 16:00

渡辺裕之、行きつけのイタリアンで語る「大林宣彦監督の遺言」

ドラムにのめり込み、近所に住んでいたジャズドラマーの手ほどきを受けた

 

「デビューはコカ・コーラのCMでしたし、リポビタンDのCMには、37歳まで出演させていただきました。僕は運がよかったんです。下積み時代も、マネージャー業やドラムの仕事で生活には困らなかった。

 

 しかし、役作りをするうえでは、もっと苦労の経験があったほうがいい。若いころは、『にじみ出るものが何か足りないのではないか』と葛藤したこともありました」

 

「体育会系」といわれる渡辺。「吹奏楽部だったし、絵を描くのが好きだった。自分では文化系だと思ってるけど」と笑いつつ、矜持を語ってくれた。

 

「当時、よく読んでた映画雑誌に、海外の俳優がジムでトレーニングをしている記事があったんです。僕も、『台詞や表情だけでなく、肉体でも表現できる俳優』を目指し、トレーニングをしてきました。だって、マグナムみたいにでっかい拳銃を撃つ役なのに、腕が細かったらへんでしょう(笑)」

 

 だが、2020年はモチベーションが下がり、トレーニングはずっとサボり気味だったそう。震災のときは、人と人との絆を感じることができた。だが、「この新型コロナウイルスは人を孤独にする」と感じたからだ。

 

「東日本大震災では、僕の故郷、茨城も被災しました。そのときは、避難所にリポビタンDを1100本届けたんです。すると、避難している皆さんが『ファイト!』って叫んでくださったんです。僕も声が嗄れるほど、『一発!』と叫んでいました」

 

 コロナ禍で自粛期間中の4月10日、映画監督・大林宣彦氏死去の知らせが届いた。

 

「その日は、(大林監督の)遺作になった『海辺の映画館-キネマの玉手箱』の公開予定日でした。僕も出演していて、現場では、ずっと監督の近くで勉強させていただきました」

 

 訃報に強いショックを受けた渡辺だったが、そのとき、監督からかけられた言葉を思い出したという。

 

「『映画で歴史は変えられないけど、未来は変えられるんだ』と。この作品は、戦争の歴史を、劇中映画を通して体験していくもの。観終わったあと、必ず『戦争はいけない』と思うはずです。それこそが、大林監督の遺言のような気がします」

 

 渡辺は前を向いて、力強く語った。

 

わたなべひろゆき
1955年12月9日生まれ 茨城県出身 「コカ・コーラ」のCM(1980年)でデビュー。「リポビタンD」のCMには、1982年から1993年まで出演。映画『オン・ザ・ロード』(和泉聖治監督、1982年)主演で映画デビュー。『海辺の映画館―キネマの玉手箱』(大林宣彦監督、7月31日~)、『癒しのこころみ~自分を好きになる方法~』(篠原哲雄監督、7月3日~)の公開を控える。6月7日からYouTube『ゆきチャンネル』をスタート

 

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(週刊FLASH 2020年6月23・30日号)

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