エンタメ・アイドル
みのもんたが回顧「夜の志村けんさん」若い女性10人に囲まれて…
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2020.07.19 06:00 最終更新日:2020.07.19 06:00
志村けんさん(享年70)が逝ってから、7月7日で100日。あらためて、「喜劇王」の偉大さに感じ入っている人は多い。
『東村山音頭』で、故郷の東京都東村山市を全国に知らしめた志村さん。2020年6月25日、名誉市民となった。東村山市の渡部尚市長が語る。
【関連記事:ついに墓石に戒名が…志村けんさん、東村山に「聖地」続々】
「じつは6年前、一度打診して断わられているんです。『じゃあ、志村さんの事務所にお邪魔するので、市報のインタビューを私にさせてもらえますか』と聞くと、快諾してくれました。
そのとき、追加で『 “志村けんの木” と書いてもらえませんか』とお願いしたら、志村さんは『いいよ』と書いてくださって。それで今、東村山駅にある “志村けんの木” の直筆看板ができました」
故郷愛の深い人だった。それは “心の故郷” に対しても、そう。志村さんが最後までこだわったのは、麻布十番だった。何年もかけて、地元民との絆を深めていった。
「麻布十番は閉鎖的なところがあって、いろんな店に行って、お客さん同士で繋がっていって、やっと認めてもらえる。志村さんが好きになるのは、わかります」
そう語るのは、ある飲食店経営者だ。
「僕が志村さんと最後に会ったのは、2月14日。僕と志村さんが行きつけの、“ガールズバー” でした。お気に入りのコとずっと話しているんですが、オフのテンションは、とても低い。聞き取れるか取れないかくらいの声で話していて、『テレビはテレビで切り替えていたんだな……』と思っていました」
数十年来、毎晩のように飲み歩いた麻布十番――。そんな大切な場所へ行くため、近年は体調に気をつけて飲み歩いていた。入谷に店を構える志村さんの40年以上の行きつけ、ちゃんこ店「玉勝」の店主が明かす。
「うちの鍋は野菜が多く、体調が悪くなると “調整” も兼ねていらっしゃいました。野菜をたくさん召し上がられて、とくに別注で山盛りのニラを食べると、『あ~、体調が整った気がする。さぁ~飲みに行こうかな』と、ニヤッとしながら帰っていくんです」
同じく “夜の街” を駆け抜けていた、みのもんた(75)は、志村さん亡き今を残念がる。
「ああいう楽しい飲み方をされる方に、もっと頑張ってほしかった……。だいたいお会いするとき、けんちゃんは若い女のコ10人ぐらいに囲まれて、こっちは男ばっかり。だから、いつも俺はいじけてたよ」
そして、もうひとつの “故郷” は熊本県だ。『天才!志村どうぶつ園』で何度も足を運んだ地にも、行きつけがあった。郷土料理店「青柳」の二代目女将・倉橋恭加さんが振り返る。
「店にいらっしゃるだけじゃなく、相談にも乗っていただいて。今年、新しいビルにお店を引っ越したんです。そのときに店内の設計について、『こういう造りにしたらいいんじゃない』とアドバイスしてくださったんです。
当初のオープン予定は、4月16日でした。志村さんがお店に来てくださることを、楽しみにしていたのですが……」
日本中に愛を届けた志村さん。だからこそ、多くの人に愛されたのだ。
(週刊FLASH 2020年7月28日・8月4日号)