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片岡礼子、女優も家事も全力投球で脳出血に「独り善がりだった」

エンタメ・アイドル 投稿日:2020.07.22 11:00FLASH編集部

片岡礼子、女優も家事も全力投球で脳出血に「独り善がりだった」

土木工学を学びながら、モデルの仕事をし、シナリオ雑誌を読み漁った明星大学時代

 

 片岡は愛媛県の港町、松前町で生まれ、中学までは人見知りが強かったという。そんな少女が女優に憧れたのは、「ジャッキー(・チェン)と出会ったから」と、拍子抜けするくらいシンプルだ。

 

「最初はテレビで観た『酔拳』(ユエン・ウーピン監督、1979年)。友達同士で初めて映画館に行ったのも『五福星』(サモ・ハン・キンポー監督、1984年)。夢は、『ジャッキーのお嫁さんになりたい』でした」

 

 その夢は、「いつか共演したい」へと変わっていった。

 

「私が嫉妬する女優は、ジャッキーと共演した後藤久美子さん・山本未來さんだけです(笑)。

 

 初めて主演した『ハッシュ!』(橋口亮輔監督、2001年)でカンヌに行ったとき、ジャッキーも来てたんですよ。パーティをすると聞きつけ、なんとか潜り込めないか探りを入れたら、地中海での船上パーティ。逃げられました(笑)」

 

 おっちょこちょいの県民性を指していう「伊予の駆け出し」さながら、そう笑わせるが、片岡にとってつらい時期でもあった。日増しに頭痛がひどくなっていくのだ。

 

「肩に力が入りすぎていたんです。27歳で初めての出産を経験し、日中は家事をこなし、家族が寝静まった夜中に台詞を覚え、睡眠時間を削りまくっていました。出産後に始まった頭痛も、市販薬で抑えたつもりでいました」

 

 2002年1月、片岡は脳出血で倒れ、一時生死の境をさまよう。『ハッシュ!』でブルーリボン賞主演女優賞、並びにキネマ旬報主演女優賞をダブル受賞し、いよいよという矢先だった。

 

「それまで、インタビューなどで『命差し出して仕事してる』ってよく言ってました。命の大事さを本当に知らないから、そんなこと言えてたんですね」

 

 奇跡的に手術が成功し、自宅でリハビリのあと、愛媛県内の離島に転居。約2年を静養に充てた。農作業に明け暮れ、癒やされていった。

 

「そこで、人生でいちばん充実した日々を過ごせたのかもしれません。家族もいて、自分ひとりの体じゃないのに、私はなんて独り善がりだったんだろう……」

 

 ふと涙ぐんだ。濡れた瞳は時間の波に揺れていた。女優には、自分を見つめる場所がある。


かたおかれいこ
1971年生まれ 愛媛県出身 大学進学を機に上京し、篠山紀信撮影の「週刊朝日」の表紙モデルを務めて注目される。1997年の『鬼火』で第17回ヨコハマ映画祭最優秀助演女優賞、2001年の『ハッシュ!』でブルーリボン賞主演女優賞、並びにキネマ旬報主演女優賞を受賞。映画『とんかつDJアゲ太郎』(二宮健監督)公開が控える

 

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(週刊FLASH 2020年7月21日号)

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