1987年、23歳でNYから帰国した堀内は、振付けを開始する。
「『はい、作るよー!』なんて自由に振付けしていた父を見ていたから、自分が振付けることは自然でした。NY時代から音楽は聞き漁っていましたし。僕は詩を書くのが10代の頃から好きなんです。詩を書くのと振付けって、自分のなかではどこか共通点を感じるんです」
1991年、27歳で「フットライト・ダンサーズ」というグループを結成し、精力的に活動を開始した。ダンサーとしても多くの劇場に出演した。その後、グループは解散するが、堀内は自分の作品を発表していくことをあきらめなかった。
同時に、若いダンサーたちにバレエと向き合える場を作り、その人間性を育て上げることに精力を傾けはじめた。
「僕のところに、バレエ団に入れなくて泣きに来る子がよくいるんです。目の前で『すみません、バレエ団に入れませんでした』ってえんえん泣く。
それまでは話を聞くだけだったけど、大学で教えているうちに、若い子に自分がバレエの何を継承させていけるのか真剣に考えるようになりました。
振付家としても1年に1〜2回は作品を発表していきたい。それで、泣いているあの子たちが1年に1回でも自分の思いを舞台に託せるように、というのがBallet Collectionを始めたきっかけです」
堀内のBallet Collectionは、数多くある自主公演のなかでも、ダンサーたちの真剣さがダイレクトに伝わってくる。残念ながら、今年はコロナウイルスの影響で9月9日に延期となった。
「公演はすべてキャンセルと早々に発表したところもありました。でも、どうしても僕はギリギリまで粘りたかった。それは、ダンサーも僕も、たとえ限られた状況であっても、今の自分をさらけ出す勇気を持つことが大事だと思うから。
コロナの影響でリハーサルも中断したし、ダンサーは練習不足になっている。『今年の完成度はイマイチだったね』と言われるかもしれない。
でも、どんなときでもバレエを愛している人間はバレエを続けなければならない。バレエこそ生きがいだと、ダンサーも僕も改めて気がついた。今のダンサーたちが、10年後に『自分はあんなときも踊っていたね』と振り返れるようにしたい」
Ballet Collectionに参加したダンサーは、堀内の指導を「必ず一人一人の輝く場面を作ってくださる。だから『もっと上を目指していいんだ』と自信を持つことができる」と明かす。
若い人の人間性を引き出し、彼らの力を信じて自信を与えること。自分が受け継いだものを手渡すこと。それが芸術を継承する人間の使命だと言う。また、すべてが「導かれた人生」だとも。
「自分で言うのは変だけど、僕の人生を他の人が歩めるとは思えない。これは思い上がりではなく、いかに自分が周りに助けられてきたかという意味です。
僕は、教えるのが得意なわけではないのに、大学で教えさせていただいたり、今年は松山バレエ団から客演依頼をいただいた。そして振付家としてもやらせてもらっている。
ダンサーとして道を極めるのもありですが、自分にはこっちにもあっちにも道があると思っています。それはもう、いまだに自分を導いてくださる方々との出会い、関わりがあるからです」
どんなときも穏やかで静かな印象がある堀内。しかし信念を語るときは、全身から力を絞るように情熱がほとばしる。そんな彼に、どんな人間でありたいか尋ねた。
「結果はどうであれ、向き合ったことは必ず残ります。僕はどんな状況でも立ち向かっていきたい。その姿勢が自分にあって欲しいと思う」
若手の育成を自らの使命と引き受け、全力疾走する男。彼のような先達が、日本の未来を作っていく。
写真・ピーター・クック
取材・文/岩崎桃子
浅草生まれのアートディレクター。高校時代からドキュメンタリー制作、モデルなどで活躍。コロンビア大学留学後、外資の金融機関で働く。海外写真家の仕事を手伝ううち、アートの世界にシフト。プロデューサーとして、写真集『edo』をドイツで出版