「大学時代、『天下一品っていう、うまいラーメン屋があるらしい』と聞いて、友達の車で江古田へ食べに行ったんですよ。それが本当に、『うわーっ!』って衝撃を受けるぐらい、うまくてね」
東京・杉並区八幡山にある「天下一品」で、噴き出す汗も気にせず麺を頬張るのは、「八幡山店の味が好き」と話すマギー。「天下一品」といえば、「こってり」か「あっさり」。マギーは、30年間変わらず「こってり派」だ。
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「『なんだ、このスープは!』っていう、いつ食べても最初のときと同じ衝撃があるんですよ。自分の中で日常にしたくないので、仕事が一段落したときや頑張ろうというときに食べる、ご褒美みたいな特別な一杯です」
俳優・脚本家・演出家と、多彩な顔を持つマギーだが、最初に目指したのは「お笑いを演(や)る人」だった。
「僕は小学校を3回転校しているんですが、どちらかというと、はしゃいでる同級生を『子供っぽいな』って見てるような、学級委員タイプだったんです。でも、3つめの学校に転入したときに、『みんなは僕のこと知らないんだよな』って。
そう思ったら、ふと『おもしろい人でいきたいな』って考えが湧いてきて。お調子者に憧れみたいなものがあって、『なれるなら、なりたいな』って気持ちがあったんでしょうね」
転入生として教室に入るなり、つまずいて転ぶまねをしてみた。すると、教室全体がドッと沸いた。
「もう、それが気持ちよくって。『こんな楽しいことがあるんだ』って思いましたね。それからしばらく、先生に当てられるたびに、とぼけたことを答えて、みんなが笑う。そんなことを繰り返してるうちに、いつしか “クラスでいちばんおもしろいヤツ” になってました(笑)」
それからは子供なりに、お笑い番組を一生懸命見た。竹中直人、イッセー尾形、シティボーイズなど、演劇的な手法で笑いを取るコントに憧れた。なかでもマギーにとってのアイドルは、タモリだった。
「当時、多くの子供は机のシートに、好きなアイドルや野球選手の切り抜きを入れていたんですが、僕が入れていたのはタモリさん。母親にお笑いを目指したいと話したら、タモリさんみたいになれって言い出してね(笑)。
タモリさんの番組は、よく見ました。いま、僕の仕事でいちばん好きなのは、『タモリ倶楽部』に出演することです(笑)」
兵庫県・神戸市で高校生活を送ったマギーは、お笑いを演るために東京を目指し、明治大学に入学する。お笑いを目指すなら、人気のある劇団などに入るか、オーディションを受けるのがルートだと思っていた。
ところが自分たちで脚本を書き、観客を集めて公演が打てることを知る。養成所に入り、誰かのもとで階段を上っていくより、自分で書いて演出するほうが合っていると気づく。
「サークルにいたメンバーに、『本気でやるけど、ついてきてくれる人いる?』って誘って、ついてきてくれたのがジョビジョバの5人だった。そこから世間が振り向いてくれるまでが、びっくりするぐらい早かったんですよ。もう、完全に勘違いしてました(笑)」
マギーがリーダーを務めたジョビジョバは、1993年に活動開始。またたく間に人気となり、大学のホールの動員記録を塗り替え、チケットは即日完売。上演するホールは回を重ねるごとに大きくなり、大旋風を巻き起こす。
「うちのメンバーは、お笑い志向ではなかったから、7年め過ぎぐらいからギクシャクしはじめて。勢いのある波に乗っていたはずなのに、いつの間にか飲まれちゃった。
やめるべきか悩んでいるときに、ジョビジョバのスタッフだった中学の同級生が『なんで悩んでるの? マギーは、もうソロでやるべきだよ』と言ってくれたのもあって、活動休止を決心しました。そうしたら、ほかのメンバーも同じ気持ちで、覚悟ができていました」