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ずん・飯尾和樹の芸人30年史「真剣になるのが遅すぎた(笑)」
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2020.09.06 11:00 最終更新日:2020.09.07 12:18
「いえいえ、そんなことないです。CMの影響だと思いますよ」
テレビで見ない日はないですね、という本誌記者の言葉に、控えめにそう答えたのは、お笑いコンビ「ずん」の飯尾和樹(51)だ。
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“破竹の快進撃” と言っても過言ではない。地方局を含め、テレビのレギュラー番組が7本、出演するCMが4社。さらに、俳優として連続ドラマにも出演。いまや、“超” がつく売れっ子だが、本人はいたって普通。
「俺ね、ソーセージが大好きなんです。この前もスーパーで、賞味期限間近のものが30%引きで売ってたので、ピーマンと炒めようと思ってカゴに入れたんです。そしたらおばちゃんに、『(番組の)ロケ?』って言われました(笑)。今日食べるなら問題ないし、割引商品は全然平気ですね」
芸能界入りは1990年。最初に組んだコンビはわずか1年で解散。1992年に、村山ひとし(現放送作家)と「La.おかき」を結成する。
「村ちゃんは、おもしろいやつだったんです。でも、まったく趣味が合わない。村ちゃんはアイドル好きのインドア派で、俺はアウトドア派。まだイチローさんがオリックスにいたころ、東京ドームのチケットが手に入ったんで、村ちゃんを誘って行ったんですよ。
イチローさんがバッターボックスに入って、ドームがウォーっと盛り上がってるのに、まったく興味がない。『あのビールの売り子の女のコ、不動産系のCMに出たらいいな』と、ずっと言っているみたいな……」
そんな村ちゃんとは、5年で解散することに。申し出たのは村ちゃんだった。
「『飯尾さん、夢ありますか? 僕はもう夢がない』って言われて。『俺はテレビのセットの中とかで、コントをやりたいな』って話したんですけど、村ちゃんは『お笑いの夢がない。ほかに好きなことが見つかったんで』と。
村ちゃんは本当にアイドルに詳しくて、テレビ局の方に重宝されてたぐらい。だから、そっちの道が合ってたんですよね。
でも、村ちゃんはおもしろかったなぁ。解散して仕事がなくなったときに、『ああ、村ちゃんのおかげだったんだな』って、しみじみ思いました」
残った仕事は、1年に10日間ほど上演される事務所の先輩・関根勤(67)が座長を務める舞台と、キャイ~ンのラジオ番組のみ。ラジオ番組は「La.おかき」として出演していたので、飯尾だけを残すのは……ということになったが、ディレクターたちが配慮してくれた。
「ギャラが出るように、“タレント兼作家” みたいな扱いにしてくれましてね。週に1度、会議に出席したあと、メシを食わせてもらったり、飲みに連れてってもらったり。交通費も出してくれました。
もう本当に皆さんに保護され、保護され……。ありがたいですよね。家だけはあったので、なんとか大丈夫だったんです」
飯尾はこのころ、一軒家に住んでいた。しかも、間取りは4LDK。
「祖母が亡くなったあとに空き家になった母の実家に、管理人代わりに住むことになりまして。風呂完備、テレビは3台、湯沸かしポットに、ホットプレートつきです。
キャイ~ンと同期なんですけど、ウド(鈴木)も天野(ひろゆき)も、売れる前は四畳半の風呂なしアパートから。ワンルームに引っ越すなんていったら、もうお祝いです。その次が1LDK。
なのに俺は、最初から成功者みたいな暮らしをしてました。だからハングリー精神がなかったんじゃないか、ってね(笑)」