ところが、お笑いトキワ荘で同居していた後輩が、「絶対に飯尾さんと組むべき」と、やすを説得。2000年、「ずん」を結成する。飯尾は32歳、やすは31歳のときだった。
「うちの両親は公務員なんです。親父は『30歳まで好きなことやってもいい』と言ってくれてたんですが、32歳、2年も過ぎてから好きなことを始めちゃいました」
同居していて気心も知れている、やすとのコンビ。滑り出しは順調と思われたが、なかなかそうはいかなかった。
「 “リンスとリンスが組んじゃった” って感じで、まったく泡立たない(笑)。艶だけはよくなりましたけど、ベタつくだけ。さらにタチが悪いのは、“違う香りかよ” って。
鉛筆と消しゴムで組めばいいのに、消しゴムと消しゴムで組んじゃったもんだから、チャンスを消してくみたいな。しかも砂消しですよ、下地まで消しちゃう」
飯尾が今でも忘れられないのは、初めての舞台。デビュー戦での、やすの姿だ。
「俺は朝からメシが喉を通らなくて、どうなるんだろうって。そしたら、やすが『相方よ、落ち着いてくれ。ボケとアドリブさえ考えてくれたらいいから』って言うんですよ。
俺は中高の部活動が野球とバレーボールで、自分のエラーは誰かがカバーしてくれた。でも、やすはずっと柔道をやっていて、柔道の推薦で大学に行くぐらい強かったんです。『やっぱり個人で勝負をしてきた男は違うな、やすと組んでよかったな』って思ってたんですよ。
ところが、いざ本番が始まったら『どうも~、ずんです』という挨拶を『どうも~、どんです』って噛んだんですよ。驚いて横を見ると、下唇を噛んで耳まで真っ赤にしている、やすがいた。
無事に舞台を終えてからツッコんだら『やっぱり柔道とは違うな、あははは』って豪快に笑ってて。やすは本当にすごい。ああいう存在は、助かります」
コンビを組んで20年。『やすと組んでから、いい風が吹いてきた』と話す。ここ数年は俳優としても存在感を発揮。連続ドラマ『私の家政夫ナギサさん』(TBS系、9月1日に最終回放送済み)には、医薬品卸売会社の営業課長役として出演した。
「多部(未華子)ちゃんに情報を教えてあげる役なんで、顔を近づけてコソコソ話すシーンが多いんです。ドラマを観たおふくろが電話をかけてきて、『和樹って、こんなに顔が大きかったっけ? って思っちゃったわよ。あははは。まあ頑張ってね』って、電話切られましたけど(笑)。
のんきな役とか、自分に近い役は楽しくていいですね。『寅さん』(『男はつらいよ』)を観てたので、渥美清さんとか、笑わせてくれる役者さんは大好きでした。喜劇とかいいですね~」
飯尾と同時期にデビューしたお笑いコンビには、キャイ~ン、ナインティナイン、くりぃむしちゅーなどがいる。かなりの遅咲きである。一気に売れちゃうと、生活が変わったりとか……。
「まったくないですね。時計や貴金属が好きなわけじゃないし、免許を持っていないので高級車もないです。
免許は出川さんから、『飯尾くん、免許取ってよ』と言われましたが、『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』(テレビ東京系)が特番からレギュラー枠になるときに、やっと原付の免許を取っただけですから(笑)。
そうだ、後輩を旅行に連れて行けるようになりましたよ。飲みに行くときも、『後輩が8人か』って、人数を見てドキッとすることはなくなりましたね。以前だったら『月曜日と水曜日な』と、4人ずつ分けて連れて行ってましたから」
バラエティにドラマに映画にエッセイ。多方面で活躍する飯尾に、今後やってみたいことを聞いてみた。
「やっぱり、お笑い番組をやりたいですね。バカバカしくてなんか笑える『ザ・お笑い』というのを、やりたい。
それでまた、みんなでスベった、ウケたって言いながら、ガハハって笑いながら飲みたいです。冠番組ですか? そんなそんな。冠番組なんて、めったに持てないですから。でも、もしお話がきたら、もちろん二つ返事でお受けします」
どこまでも控えめ。彼がこんなにも多くの人に求められるのは、ぺっこり45度の人柄ゆえだろう。
いいおかずき
1968年12月22日生まれ 東京都出身 1991年デビュー。2000年にやすと「ずん」を結成。『これって私だけ?』『ノンストップ!』(フジテレビ系)の木曜日コーナー「ワリカツ! ~おトクな割引生活~」レギュラー出演のほか、『私の家政夫ナギサさん』に出演。エッセイ『どのみちぺっこり』(PARCO出版)発売中
(週刊FLASH 2020年9月15日号)