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斎藤洋介さん、生前最後のインタビュー「僕が俳優に目覚めた日」

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2020.09.21 18:17 最終更新日:2020.09.21 18:19

斎藤洋介さん、生前最後のインタビュー「僕が俳優に目覚めた日」

 

 個性派俳優として活躍した俳優の斎藤洋介さんが、9月19日に亡くなった。2カ月ほど前、歯のインプラントのために検査をした際に咽頭ガンが発見され、切除手術を受けた。その後は、再発防止のために放射線治療を受けていたという。9月19日、自宅での夕食時に体調不良を訴え、病院に救急搬送されたが、そのまま帰らぬ人となった。69歳だった。

 

 

 愛知県出身の斎藤さんは、1980年に『男たちの旅路』(NHK)でデビュー。『人間・失格~たとえばぼくが死んだら~』(TBS系)、『家なき子』(日本テレビ系)など、多くの野島伸司作品に出演。『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)では、初期から準レギュラーを務め、人気を博した。

 

 そんな斎藤さんに、本誌は2019年9月に行きつけの飲食店で取材していた。そしてこれが、斎藤さんにとって生前最後のインタビューとなった。

 

 名脇役として活躍した斎藤さん。学生時代に目指していたのは、役者ではなく建築家だった。

 

「教師に『おまえは数学のセンスがない』って言われましてね。答えはあっているが、それを導き出すまでの時間が長すぎるって(笑)。それで、“数学をやらない建築”ということで、舞台美術をやろうと思ったんです」

 

 明治大学に入学し、演劇部で裏方を務めた。

 

「そうしたらある日、俳優がひとり足りないからと、無理やり出演させられましてね。そこで初めて照明っていうものを浴びて、『気持ちいいもんだな』って。

 

 僕は滑舌が悪いから、『セリフは喋れないです』って言ってたんですけど、その気持ちよさを知ってしまいましたから。声を出して新聞を読んで、テープレコーダーに録音して練習しました」

 

 そんなあるとき、マーロン・ブランド主演の映画『地獄の黙示録』(1979年、フランシス・フォード・コッポラ監督)を観たとき、滑舌の悪さで悩む斎藤さんの考えが変わった。

 

「彼のセリフまわしは、アメリカ人でも何を言ってるかわからないと思うんですよ(笑)。でも、圧倒されるんですよね、その存在感に。それからは『セリフは道具だ、それに縛られることはないんだ、これも個性なんだ』と開き直れるようになりました」

 

 こうしてドラマに映画にと、活躍の場を広げていった斎藤さんには、ふたりの息子がいる。次男は、俳優として活躍している斎藤悠(36)だ。彼が「俳優を志したい」と言い出したときのことを、こんなふうに語っていた。

 

「自分がやっている仕事なんで、反対する理由が見つからないんですよ。反対はしないけど、絶対に力は貸さないから、自分で責任を取れよって。本人は『うん、それでいい』と言いながら、『お金を貸して』とか言ってくる(笑)。

 

 でも、僕らも息子と同じ年代のころは、そうやって親や友達にさんざん迷惑をかけてきましたから、同じことを繰り返すんですよね。少しずつ質を上げていければ、繰り返しになってもいいと思うんです」

 

 ちょっとはにかみながら、そう語っていた斎藤さんには、「脇役のほうが演じる幅があって、おもしろい」という考えがあった。

 

「主役は、何かあると鼻につくじゃないですか。でも、うまい脇役が固めていくと、主役がどんどん光っていくんですよね。俳優っておそらく才能は必要なくて、どうチャンスを生かせるか。チャンスがきたときに、逃さずうまく掴んでいける人が生き残っていけるんでしょうね」

 

 お気に入りのスコッチウイスキー「バランタイン ファイネスト」の水割りを傾けながら、3時間近く。酔いが回ったか、何度も同じ発言を繰り返しながらも、俳優としての矜持を熱く語っていた。亡くなる前日まで、今後の仕事のスケジュールを確認していたという。

 

 取材をおこなった行きつけの店は、メキシコ料理店。本誌のお願いに答えて、コロナビール片手にメキシカンハットを被り、笑顔でポーズを取ってくれた斎藤さん。ご冥福をお祈りしたい。

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