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高知東生「薬物依存だった俺」愛人と寝込んでいたら、マトリが来た

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2020.10.18 11:00 最終更新日:2020.10.18 11:00

高知東生「薬物依存だった俺」愛人と寝込んでいたら、マトリが来た

 

 2016年9月、覚醒剤の使用等により、執行猶予つきの有罪判決を受けた俳優・高知東生。現在は、薬物依存症の治療をしながら、啓発活動に取り組んでいる。執行猶予が明け、初の自叙伝『生き直す 私は一人ではない』(青志社)を出版した高知に、いま何を思うのかを聞いた。

 

 

 

 28歳で、遅咲きの芸能界入りを果たした高知。事務所の手腕もあり、仕事は順調な滑り出しだったという。

 

「初仕事は、本木雅弘さん、宮沢りえさんが主演したドラマ『孫悟空』。右も左もわからず、大スターに囲まれて必死だった。業界用語がてんでわからなくて苦労したよ。

 

 監督に『ここまで来たら、笑え』と言われたので、笑いながら次のセリフを言ったら『てめぇばかやろう! 聞いてなかったのか!』と怒られて。『笑え』は『その場から去る』という意味だった(笑)」

 

 所属事務所の社長を相手に、食ってかかったこともある。

 

「昔から、母親の半生を映画にしたいと思っていた。シナリオを書いて社長に見せたら、しっかり読んではくれたけど、『10年早いな』と言われて。一瞬で頭に血が上って、『いまの言い草はなんや!』って床に灰皿を叩きつけてしまった。いま思うと、自分の感情をコントロールする術を知らなかったんだね。

 

 それから半年近く謹慎したけど、久々に仕事をもらって社長に謝ったら、『気にするな。お前は役者に向いている。頑張ってやれ』と。社長は父親のような優しさと寛大さで俺を育ててくれた」

 

 俳優として活動していくかたわら、次第にエステビジネスも手がけるようになった。経営に苦労するなかで、2006年頃、ある女性と知り合う。逮捕当時、一緒にいた愛人Aさんだ。偶然の出会いを何度か重ね、2008年頃、体の関係を持った。

 

「一度関係を持ってからは、月1回ぐらいのペースで会うようになった。関係を5~6回持つと、だんだんと打ち解けて秘密の話をするようになって……2人とも過去に薬物体験があったことがわかって、そこで『今度、久々にはじけようか』と盛り上がってしまったんだよね。

 

 薬物はずっとやめてたんだけど、昔の友人に連絡したら簡単に手に入ってしまった。2人で使ったとき、薬物による快感が再びよみがえって、その後も会っては薬物を使うような関係が続いた。

 

 ちょうど、経営していたエステサロンの業績が悪化してて、ストレスがあまりに大きかった。Aとの関係でそれを忘れようとしてたんだろうな。でも、秘密を持ち合う関係の恐怖から、ますます不安になって、すべてを薬物を使って忘れるしかない悪循環に陥った」

 

 逮捕された日のことは、いまでもよく覚えているという。

 

「マトリ(麻薬取締官)に踏み込まれたとき、僕らが全裸だったなんて報道もあったけど、吸った大麻が効きすぎて、お互いに洋服を着たまま眠りこけていたのが本当のところ。

 

 正直ホッとした。『終わった』という茫然自失の気持ちと、『これですべてから解放される』という安堵の気持ちから、思わず『来てくれてありがとうございます』って言葉が口から出た」

 

 有罪判決を受けてから約2年は、自宅で一人、じっと過ごした。友人たちのすすめで外出は極力避け、必要なものを届けてもらう日々を送っていたという。

 

「一人で家にいて、自分の罪と向き合おうとしていた。でも、一人で反省するのは限界があるんだよね。当時は追い詰められてしまって、どう人生のけじめをつけるかをずっと考えていた」

 

 堂々めぐりの思考から抜け出せたのは、「ギャンブル依存症問題を考える会」代表の田中紀子さんをはじめとする、依存症自助グループの人たちに出会えてからだ。

 

「なによりも、『執行猶予は謹慎でも自粛でもない』って言われたのが衝撃だった。田中さんには『執行猶予は社会復帰するための期間です。自分で思っているより、世間は大して何も思っていません』って言われたよ」

 

 アドバイスを受けた高知が、意を決して向かった先はコンビニだった。はじめは罵声を浴びせられるんじゃないかと怯えていたが、そこで思わぬ出来事に遭遇したという。

 

「コンビニ前の信号で止まっていると、あるお母さんと子供が来て。その子がずっと俺の方を見てるんですよ。顔を隠していたら、子供が『チーフ』って。俺は『逃走中』っていう番組で、長年ハンゾウチーフというゲームマスターみたいな役をやっていて。そしたら、その子が『ハンゾウチーフ!』って呼んでくれたんです。びっくりした。

 

 そしたらお母さんも俺の方を見て、『こらこら』って子供を隠して。いたたまれなくて、『ああ、イヤだなぁ……』って思っていたら、突然お母さんが『高知さんですよね。いろいろあったと思いますけど、頑張ってくださいね』って。『子供も大ファンなんです。しっかり頑張って、また『逃走中』出てください』って言ってくれたの。

 

 俺、信号渡らないで、うずくまって泣いちゃったんですよ。勇気を持って外に出たことで、まさかそんなプレゼントが待ってるとは思わなかった。

 

 それからはもう、思い込みで自分を苦しめるのはやめた。同じ経験をして、それでも社会で頑張っている人たちに囲まれて、自分も正しく社会に戻ろう、成長しようと思って」

 

 いまでは、過去の自分を許すことができるようにもなった。

 

「昔は『俺の人生って、なんでこんなにめちゃくちゃなんだろう』って思ってたけど、いまは『お前、よく頑張ったな』と言えるようになってきた。

 

 昔の俺は、いったい何を求めていたんだろうな。いまだにそこに答えはないんだけど、やっと自分を許して認めてあげられるようになった」

 

 素直に生きるようになった高知のもとには、「捕まる前は嫌いだったけど、いまは好きです」といった声が多く寄せられるという。

 

「正直言って、そのときの俺もいまの俺も、精一杯に生きてるのは同じだと思う。ただ、いまは堂々と、寂しい、怖い、つらい、泣きたいって言えるようになった。助けてくれって言えるようになった。これがすっごい楽。

 

 親に対してもね。当時は本当に恨んだし、憎んだし、大っ嫌いだった。でも、逮捕をきっかけに昔を思い起こしてみると、お袋なりに、俺を愛してくれてたんだなと思う。

 

 やっぱり感謝してるし、生んでくれてありがとうと思ってるよ。お袋、俺の残りの人生、ちゃんと見ててくれよなって、あらためて思うよね」

 

 吹っ切れた高知は、もう一人ではないのだ。

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