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追悼エディ・ヴァン・ヘイレン…今明かされる「バーガー事件」
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2020.10.24 06:00 最終更新日:2020.10.24 06:00
10月6日、伝説のロックバンド「ヴァン・ヘイレン」のフロントマン、“笑顔のギタリスト”エドワード・ヴァン・ヘイレン(享年65)が、ガンで亡くなった。笑顔のみならず、ライトハンド奏法(タッピング)や「ブラウンサウンド」で、世界中の音楽ファンを魅了したエディ。音楽関係者2人の証言で、規格外の足跡を振り返る!
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1978年の初来日から、最後となった2013年の東京ドーム公演まで、ヴァン・ヘイレンのプロモーターはウドー音楽事務所が務めた。同社の副会長・高橋辰雄さんが語る。
「エディの状態については、ときどき、スティーヴ・ルカサー(TOTO)から聞いていました。『今朝、会ったけど元気だったよ』とか、メールが来ることもあって。
エディは、爽やかな笑顔が印象的でした。あるとき、僕がステージでエディのフランケン(ギターの愛称)を見ていたら、『さわっていいよ』って。間近で見ると、傷だらけだったんです。
そしたらエディは『傷なんて気にしないよ』と言って、ドライバーを持ってきて、フランケンのボディに僕の愛称(TACK)を刻んでくれて。気分は最高でしたね。
訃報が流れたあと、世界中のミュージシャンから追悼コメントが寄せられていますが、それだけ影響力があったということ。ギターで革命を起こしたスーパーヒーローでした。そしてエディと兄(アレックス)との深い絆が、ヴァン・ヘイレンを作り上げた。後世に語り継がれるバンドです」
ヴァン・ヘイレンに関する数多くの記事を世に送り出したのが、1979年から1990年まで雑誌『ミュージック・ライフ』の編集長を務めた、東郷かおる子さん。苦笑しながら、当時を語ってくれた。
「彼らのインタビューでは、いつも困っていました。とにかく騒いでいて、会話にならない。質問なんて関係なく、ただただ、大騒ぎするんです。
たとえば1979年、大阪のホテルで取材することになったのですが、彼らは、ローラースケートでホテルのロビーを走り回りながら現われたんです。当然、支配人が飛んできて、大目玉を食らいました」
東郷さんには、忘れられない思い出がある。『ミュージック・ライフ』編集部で伝説となっていた、「バーガー事件」だ。
「デイヴ(デイヴィッド・リー・ロス)に呼ばれて、『俺にいいアイデアがある。スタジオとハンバーガーを100個用意してくれ』と。嫌な予感がしたんですけど、言われたとおりに準備しました。
撮影日、メンバーがスタジオに入ると、いきなりハンバーガーの山に飛びかかって、投げ合いが始まったんです。マスタードやケチャップもかけ合って2時間。スタジオがめちゃくちゃになって、その修理代がなんと20万円。私は、『これで会社をクビになるな』と覚悟しました。『申し訳ありません!』と頭を下げて、なんとかすみましたけど……。
取材では、さんざんな目に遭いましたが、エディは天才だし、既成概念を壊すようなパワーがありました。そんな人たちだったから、スターだったんです」
天国のエディも、この「バーガー事件」を思い出して、微笑んでいることだろう。
(週刊FLASH 2020年11月3日号)