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名曲散歩/増位山太志郎『そんな夕子にほれました』夕子はお手伝いさんだった
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2020.11.01 16:00 最終更新日:2020.11.01 16:00
東京・神田の古いビルの2階。そこには夜な夜な紳士淑女が集まり、うんちくを披露しあう歌謡曲バーがあるという。今宵も有線から、あの名曲が流れてきた。
お客さん:お、このイントロは、増位山の『そんな夕子にほれました』。お相撲さんの歌がミリオンヒットする時代だったんだね。
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マスター:1974年、元大関・増位山太志郎が歌い、120万枚を超えたムード歌謡。その3年後に出した『そんな女のひとりごと』も130万枚を超えた。
お客さん:すごすぎる! ところで、なぜお相撲さんが歌を出したの?
マスター:もともと増位山は「角界一の美声」と評判が高かった。しかも、師匠である父親が「相撲だけやっていては幅が出ない。いろいろな芸を経験すれば、幅や奥行きが生まれる」という進歩的な考え方だったため、歌手活動が実現したそうだ。
お客さん:なるほどね。
マスター:ちなみに作詞は先代の林家三平師匠のおカミさん、海老名香葉子さん。「夕子」は当時、海老名家で働いていたお手伝いさんの名前なんだって。歌のイメージとはだいぶ違ったらしいけどね。
お客さん:昔はお相撲さんがたくさんレコードを出していたよね。
マスター:北の富士『ネオン無情』(1967)、貴ノ花『男なみだのブルース』(1969)、高見山『ジェシー・ザ・スーパーマン』(1979)などなど。琴風『東京めぐり愛』(1984)は石川さゆりとのデュエットだ。
お客さん:なぜ最近は歌わなくなったの?
マスター:1985年、日本相撲協会が親方や力士の副業を禁じたんだ。現在、増位山は定年退職して自由に歌える身分になり、変わらない美声を披露している。また両国の三保ヶ関部屋の稽古場を改装して「ちゃんこ増位山」を開いている。運がよければ会えるかもね。
お客さん:会いに行けるお相撲さん、会いに行けるムード歌謡歌手か。面白いね。
おっ、次の曲は……。
文/安野智彦
『グッド!モーニング』(テレビ朝日系)などを担当する放送作家。神田で「80年代酒場 部室」を開業中
参考:BSテレ東『武田鉄矢の昭和は輝いていた』(2020年9月18日)