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が~まるちょば「ハゲるまでやめない(笑)」モヒカンに誓った“生涯パントマイム宣言”

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2020.11.19 20:00 最終更新日:2020.11.19 20:00

が~まるちょば「ハゲるまでやめない(笑)」モヒカンに誓った“生涯パントマイム宣言”

 

 金色のモヒカンにサングラス、黒いスーツ姿で、商売道具はアタッシュケース−−。見た目のインパクトが大きすぎる、パントマイムアーティストの「が~まるちょば」。いまでこそ国内外に名が知れ渡っている彼だが、パントマイムを始めたのは、意外にも25歳だ。

 

「かつての僕は、定職にもつかずフラフラ生きていました。それでも、『25歳までに、自分のやりたい職業を見つけなきゃ』とは思っていたんです。条件は『ひとりで出来る』こと。他人がいると頼ってしまいますし、そもそも人見知りでしたから(笑)。

 

 

 ガソリンスタンドでアルバイトをしていた25歳のある日、お客さんを送り出したあとに突然、『あ、パントマイムなら、ひとりで出来る』ってひらめいたんです。それで『パントマイムで一人前になろう』と決めました」

 

 たまたま降って湧いた “思いつき” を、貫き通せたのには理由があった。

 

「20歳の頃にパントマイムを始めていたら、ほかの誘惑に負けて続かなかったと思います。25歳という遅いタイミングだったことと、『25歳までには』という焦りから、覚悟できたんだと思います。

 

 あとじつは、このあいだ亡くなられた山本寛斎さんが、『人間なんて、10年1つのことを一生懸命やれば、一人前になれますよ』ってテレビで話していて、『そういうもんか』と思えたのも大きかったんですよ(笑)。のちのち、寛斎さんに舞台を見に来ていただいて、感激でした」

 

 だが、当時の「が〜まるちょば」は、将来を託すことに決めたパントマイムの舞台を見たことすらなかった。

 

「慌てて雑誌の『ぴあ』から舞台情報を探して見に行って、そこで配られているチラシから、パントマイムを習える場所を探しました。いちばん最初は地元のカルチャーセンターで習っていたんですよ。1カ月ぐらい練習したら、『僕のいる場所は、ここじゃない』と思うようになって。また別の舞台を見に行ったとき、今の師匠に出会いました。

 

 パントマイムは、人によって教え方も全然違うんです。『壁(※目の前に壁があるように動くパフォーマンス)』の動きを見るだけで、誰に習ったのか、ある程度わかるぐらいです」

 

 パントマイムを始めてからは、おもに舞台で、ときにストリートで、芸を磨く日々を送った。「が〜まるちょば」が2人組で活動していたころの相方である、赤髪モヒカンのケッチ!さん(※2019年に脱退)とは、パントマイムを習い始めたころに知り合い、ストリートで一緒にパフォーマンスをするようになった。

 

 2人組ユニットとして活動を始めたのは、1999年のこと。

 

「結成当時は、舞台もストリートも両方やっていました。僕らは “しゃべらない表現” をしていたので、世界中で仕事ができましたしね。

 

 ただ、基本的に舞台は儲からなくて……(苦笑)。 海外でのストリートなら、フェスティバルに出場して賞金を狙うことができます。でも舞台には、照明や音響といったところをあらかじめ自分たちでコントロールできる、というよさもあるんですよ」

 

 結成1年後から2人は、イギリスで毎年8月に開催される世界最大の芸術祭「エジンバラ・フェスティバル・フリンジ」に参戦を開始した。同祭は、メイン会場とその周辺でおこなわれる、さまざまなパフォーマンスの集合体。プロ・アマ問わず誰でも参加できて、パントマイム以外もダンスや音楽など、世界中のあらゆるパフォーマーが集まる “聖地” だ。

 

 当初は、メイン会場として現地で有名な「4大劇場」を狙い、自分たちのパフォーマンス映像を売り込んだが、どこからも返事は返ってこなかった。そこで、名を売るために独自の戦略を立てることに。

 

「エジンバラフェスは、3000個ぐらいプログラムがあるから、お客さんたちも選ぶのに困るんです。全プログラムが載った冊子は配られますが、それ以上に強いのが口コミ。その状況下で、どうやったらチケットが売れるのか、徹底的に考えました。

 

 まずは会場を借りず、路上でパフォーマンスしながら下見を続けました。そして2004年に、初めて60席ぐらいの小さな会場を借りたんです。近くの路上でパフォーマンスして、自分たちの名前を宣伝しながらチケットを売っていきました。

 

 ハコを小さくしたので、チケットは無事に完売。そうやって『あいつらソールドアウトしたらしいぞ』と噂を広めさせて知名度を上げていった結果、もっとも観客を笑わせた2人組に送られる “ダブルアクトアワード” という賞をいただけて。

 

 そうして舞台をやり始めてから3年めには、かつて袖にされた4大劇場のすべてから、オファーが来たんです」

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