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名曲散歩/石原裕次郎『わが人生に悔いなし』なかにし礼が描いた等身大のスター像
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2020.11.22 16:00 最終更新日:2020.11.22 16:00
東京・神田の古いビルの2階。そこには夜な夜な紳士淑女が集まり、うんちくを披露しあう歌謡曲バーがあるという。今宵も有線から、あの名曲が流れてきた。
お客さん:お、このイントロは石原裕次郎の『わが人生に悔いなし』。52歳で旅立ったのは早すぎたね。
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マスター:亡くなったのが1987年の7月、この曲はその年の4月にリリースされた。つまり生前最後のシングルで、85万枚を売り上げる大ヒットとなった。作詞は裕次郎の盟友・なかにし礼だ。
お客さん:裕次郎となかにし礼はどんな仲だったの?
マスター:それは1963年のこと、偶然の出会いから始まった。なかにしが新婚旅行で伊豆を訪れたとき、同じホテルに映画撮影中の裕次郎が宿泊していたという。
お客さん:運命的なものを感じるねえ。
マスター:そのとき、裕次郎はロビーにいる多くの新婚カップルを見ながら、側近と「素敵な新婚カップル」を選んでいたという。で、勝手に1位に選ばれたのがなかにし礼夫妻だった。裕次郎に一杯ご馳走になりながら、「シャンソンの訳詞の仕事をしている」と告げると、「俺が歌うような日本語の歌を書きなよ、ガツーンとヒットして気持ちいいぞ。自信作ができたら持ってきなよ、石原プロに」と言われた。
お客さん:なるほど。
お客さん:後日、実際に書いて石原プロモーションに持っていくと見事採用。その歌は他の歌手に提供されたんだけど、そこから本格的に裕次郎との付き合いが始まり、作詞家の道に進んだんだ。
お客さん:シンデレラストーリーだね。
マスター:時は流れて1986年の夏のこと。裕次郎が「人生の歌を書いてほしい」と依頼してきたという。
お客さん:いよいよ来たね、本題が!
マスター:そこでなかにしはこう提案するんだ。「成功者が歌う『マイ・ウェイ』のようなものではなく、等身大の石原裕次郎の人生を歌にしませんか」と。
お客さん:等身大?
マスター:深夜、家の台所でコップ酒を飲むような大スターっぽくない姿ね。そんな等身大の姿を描いた『わが人生に悔いなし』を裕次郎はことのほか気に入っていたという。
お客さん:この頃は、死期が迫っていることを悟っていたのかもしれないね。
マスター:ハワイでレコーディングしたとき、裕次郎はなかにしにこう言ったという。「もしこの人生が夢だとしたら、こんな素晴らしい夢、こんな夢を見るっていう幸せ、これ以上の幸せはねえよな」
お客さん:石原裕次郎にとって、52年という生涯は素晴らしい夢のようなものだったんだね。
おっ、次の曲は……。
文/安野智彦
『グッド!モーニング』(テレビ朝日系)などを担当する放送作家。神田で「80年代酒場 部室」を開業中
参考:なかにし礼『道化師の楽屋』(河出書房新社)/なかにし礼『芸能の不思議な力』(毎日新聞出版)/BS11『八代亜紀いい歌いい話』(2020年9月17日)