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スチャダラパー結成30周年「モテたい!でも頑張りたくない(笑)」ユルさの哲学
ラップを日本のお茶の間に持ち込んだ、斯界の第一人者と評される「スチャダラパー」。ANI(53)、Bose(51)、SHINCO(50)からなるグループは1990年にデビューし、2020年に30周年を迎えた。
ヒップホップ界の大ベテランとなった今なお、異端の存在といる彼ら。4月にはニューアルバム『シン・スチャダラ大作戦』を発売しているが、気負うことなく、マイペースに活動を続ける彼らに、これまでの30年間をサクっと、ユル~く振り返ってもらった。
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SHINCO(以下S)「(本誌を読みながら)『FLASH』も読者の年齢層が上がったね」
ANI(以下A)「でも、なんとか残ってる。あの写真誌ブームからの雑誌だよね」
Bosse(以下B)「見出しが『ピエール瀧』とか、知り合いだったら気になって見る(笑)」
A「瀧の記事はチェックする」
B「でも最近は、誰かの不倫がアパホテルでとか、読むのはさすがにつらいな(笑)。昔はもっとバブル感があって、ちょっとチャラついた、今でいう前澤(友作)さんみたいな人がいっぱいいたじゃない」
A「前澤ね。堀江(貴文)とか前澤は、呼び捨てでいんじゃない。ご縁もないし(笑)」
スチャダラパーが結成されたころは、日本ではラップはまだアングラな存在だった。
B「確かに、『11PM』(日本テレビ系)とかの深夜番組で紹介されるくらいで、ラップが音楽番組で取り上げられることはなかった。でも、学生のときにビースティ・ボーイズ(ニューヨーク発のヒップホップユニット)を見て、楽器を演奏しないっていうのが、とにかく衝撃的だった」
A「暴れてるだけ、みたいなね」
B「演奏しなくていいんだって思って。当時のバンドブームを見てて、目立つのはカッコいいと思ったけど、自分で楽器を練習するっていう発想はなかった。『これなら、努力しないで真似できそうだな』と」
1990年に “オモロ・ラップ” を掲げてデビュー。ヤンチャなイメージが強かったヒップホップシーンに、“違う” 角度から切り込んだのは、反骨精神からかと思いきや……。
B「ラップとか音楽だけから影響を受けたわけじゃなくて、当時のいわゆるサブカル、雑誌の『宝島』だったり、『WAHAHA本舗』や『大人計画』のお芝居や、お笑いも同じように好きだった。ダウンタウンも、そのころ人気になっていて。そういう好きなものを取り入れていった結果、ああなった。僕らを好きって言ってくれてるバカリズムや麒麟とか、下の世代の人は芸人になったパターンも多いから、僕らも世代が違っていたら芸人になってたかも(笑)」
当時は、音楽で生計を立てていく気はなかったという。
B「『CD1枚出せたから、これでもうさようなら、またバイトに戻るだけ』みたいな気持ちでしたねえ。『音楽で食っていくぞ!』って気はまったくなくて、30年たった今もギリギリ “ない” ぐらいですもん」
S「いいお話があれば、いつでも転職って感じ(笑)。
B「『別の仕事をするって手もあるよな』と思いながら、もう30年たってる」
2枚めのアルバムには、マスコミや世間を皮肉る曲も。
S「口の悪いこと悪いこと。気に入らないことがあると、名指しでネタにしてたしね」
B「なんかあったら、すぐ噛みついてたなあ」
A「曲にするくらいしか、アウトプットできなかったからね」
S「おもしろいと思ったことも悪口も、全部音楽にするっていう感じだったね」