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水島新司は球史に残る事件を現実に先駆けて描いていた…4つの「野球狂伝説」
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2020.12.20 20:00 最終更新日:2020.12.20 20:00
『ドカベン』『野球狂の詩』などの人気作品を手がけてきた水島新司先生が、2020年12月1日に引退を発表した。主人公だけでなく、個性豊かな選手たちが多くの人の心を惹きつけ、『ドカベン』は全シリーズの累計が205巻と、最多巻数を誇る。
水島先生は、1958年に18歳で漫画家デビュー。「闘魂その日暮らし」を座右の銘に、野球漫画を描き続けてきた。本誌2002年4月16日号の企画では、「自分が意図せずコースから外れても、ベストを尽くせば絶対何かがある。それが俺にとっては漫画だったと思う」と語った水島先生。63年の執筆活動を終え静かに“マウンド”を降りた。
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ところで水島先生は、野球を愛するあまり、数々の伝説を打ち立てていた。「160km投手の出現」「甲子園大会の5打席連続敬遠」……球史に残る事件は、現実よりも先に “名場面” で描かれていたのだ。以下で、その“伝説”をご紹介しよう。
●伝説1/160キロ超の剛速球を投げる高校生投手を33年前に登場させていた
『大甲子園』で、青田高校のエース・中西球道が、明訓高校の山田太郎に投げた初球は162kmで、2球めは163km。ちなみに2球めを、山田がライトラッキーゾーンへホームラン。
当時、高校生で160kmを投げる投手はあり得ないと思われていたが、2012年7月、岩手県大会の準決勝で当時花巻東高校3年の大谷翔平(26)が160kmを投げ、2019年4月には大船渡高校3年の佐々木朗希(19)が163kmを記録。“夢の高校生160km超え” が現実となった。
●伝説2/四番打者の「全打席敬遠」が勝つための戦術として使われていた
『ドカベン』で、夏の甲子園2回戦でノーヒットノーランを達成した江川学院・中二美夫投手の「明訓・山田封じ策」は、5打席連続敬遠。3打席敬遠後、8回には満塁でも敬遠。延長10回にも歩かされるが岩鬼正美と殿馬一人の “ファインプレー” で明訓がサヨナラ勝ちを遂げた。
正々堂々と戦うことがモットーの高校野球では起こなわれないと思われたが、1992年の星稜高校対明徳義塾高校戦で、星稜の松井秀喜(46)に対して5打席連続敬遠。星稜が負けたことで議論となった。
●伝説3/プロの選手・審判も知らなかったルールを水島先生だけが知っていた
神奈川県予選で、白新高校の好投手・不知火守に、明訓は大苦戦。10回表1アウト満塁で、微笑三太郎のスクイズは小フライとなり、不知火は一塁送球。一塁走者が飛び出していたのでダブルプレーと思われたが、一塁アウトの前に三塁走者の岩鬼がリタッチせずに本塁を踏んでいた。
白新は、岩鬼の離塁が早かったと審判にアウトをアピールすれば得点を無効にできたが、何もせずにファウルラインを超えたので得点が認められた。明訓を抑えたと思った不知火は“難解ルール”を知らずに呆然。これが決勝点になった。ちなみに土井垣将監督もルールを知らず。
この“難解ルール”は、2012年夏の甲子園の済々黌高校と鳴門高校戦で、済々黌が活用。7回裏、済々黌の攻撃で、併殺の成立前に3塁走者が生還。鳴門のアピールがなく、得点に。済々黌の選手は、「『ドカベン』でルールを知っていた」とコメント。
●伝説4/作品の中で描かれていた偉業が「現実」になった
1995年、『ドカベンプロ野球編』の西武対ダイエーの開幕戦で、岩鬼にプロ初打席初本塁打を浴びた渡辺久信氏(55)。「漫画とはいえ、悔しい」と水島氏に雪辱戦を訴えると、翌1996年の開幕戦で、完全試合を達成。最後のアウトは、西武でバッテリーを組む山田の好送球から。作中では試合後、渡辺氏は山田と妹のサチ子に焼き肉をごちそうする。
すると約2カ月後。渡辺氏(当時30歳)は、西武対オリックス戦で現実にノーヒットノーランを達成してしまった。いまだに語り継がれる“水島神通力”だ。
(週刊FLASH 2020年12月29日号)