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梅宮アンナ「JJと歩んだ青春」父・辰夫の部屋で見つけた初表紙30冊
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2021.01.01 06:00 最終更新日:2021.01.01 06:00
「赤文字系」女性ファッション誌の代表格である『JJ』が、12月23日発売の2021年2月号を最後に不定期刊行となり、WEBで継続されていくことが発表された。1975年4月の創刊より女子大生のバイブルとして愛されてきた同誌を支えた歴代のレジェンドモデルたちが、『JJ』への思いを明かす――。今回は、梅宮アンナだ。
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女子大生のバイブルとして、ファッション誌業界を牽引してきた『JJ』で、1990〜2000年代の全盛期に同誌の顔を務めた梅宮が、当時を振り返る。
「とにかく、よく海外ロケに行きました。多いときで月4回とか。『MILANO BOOK』の撮影では、アイデアを出したりもしましたね。
当時は撮られるだけでなく、一緒に雑誌作りをしている感覚でした。『カバンの私物を公開してみよう』って言ったら企画になったり。いまの若いコが『インスタで憧れのコを見たい』って感覚に近いのかな」
単独での人気企画だけでなく、カバーモデルに何度も選ばれた。
「初めて表紙を飾るって聞いたときは、『あ、そうですか』って感じでした。どんなカットが書店に並ぶかわからなかったので、舞い上がれなくて。親にも報告せず、家族の話題に上ることもなかったんです。
そんなある日、父(故・梅宮辰夫さん)の部屋に入ったら、30冊くらいの『JJ』が(笑)。仕事のことには何も口出ししなかったのに、気にかけてくれてたんだなって」
デビューのきっかけは父親の影響だったのだろうか。
「芸能界は身近すぎて、全然興味がなかったんです。そもそも、人前に立つのが嫌いで。でも高校生だったある日、家庭教師の友人のピンチヒッターとして『JJ』の読モに。謝礼の5000円に釣られました。
すると、以前からしつこくスカウトしてきていた事務所の人が、すごく怒っちゃって。振り切るために『JJモデルにしてくれるなら、事務所に所属してもいいよ』って啖呵を切ったんです。そしたら、本当にモデルになれちゃった。こんな思い出深い雑誌が休刊するのは残念ですが、本当に感謝でいっぱいです」
うめみやあんな
48歳 1972年8月20日生まれ 「JJモデル」として芸能界デビュー。2020年12月には、自身プロデュースのアパレルブランド「anmo closet」の商品発売を開始した
写真・西出健太郎
(週刊FLASH 2021年1月5日・12日合併号)