エンタメ・アイドル
【芸能界・意外な話】つんく♂の初めての音楽プロデュースは芸人だった
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2021.01.04 06:00 最終更新日:2021.01.04 06:00
モーニング娘。のプロデューサーとして知られるつんく♂さんですが、モーニング娘をプロデュースする3年も前にお笑いコンビ・FUJIWARAさんの曲をプロデュースしていたのです。
つんく♂さんに話を聞いたところ、吉本天然素材(ナインティナイン、雨上がり決死隊などからなるユニット)でアルバムを作るという話になり、当時つんく♂さんとFUJIWARAさんは1994年に始まった『ヤングタウン』(MBSラジオ)でレギュラー共演していたことから、FUJIWARAさんの曲を担当することになったそうです。
【関連記事:つんく♂「今時の歌詞ってサビの繰り返し」発言に賛同集まる】
つんく♂さんはまあまあ歌える原西孝幸さんとそうでもない藤本敏史さんをうまく使って、どんな曲にしたらいいのか悩みました。芸人エピソードでよくある「昔出したあの曲は恥ずかしかったよな」といった黒歴史になるのもイヤ。そうなると熱すぎてもカッコ悪いし、笑いに走ってもよくないので、どんな曲がいいか相当迷ったと言います。結果的には「天素」のなかでもブサイクな2人がアイドルチックな曲を歌うというコンセプトになったそうです。
芸人さんの曲なのに、くしくも初めてのプロデュース曲もアイドルソングだったとは、将来の兆候が見えますよね。
当時、「天素」の他のメンバーもそのときの流行りの作家をプロデューサーに選んでいたので、つんく♂さんは「負けられない」という気持ちが強く、相当気合が入っていたとおっしゃっていました。
アルバムは大ヒットすることはなかったのですが、シャ乱Qで学んだことを短い時間に凝縮して形にすることができ、モーニング娘。のプロデューサーとしての導線になったのは間違いないと言っていました。つんく♂さんがFUJIWARAさんのプロデュースをしたことが、モーニング娘。プロデュースの礎になっていたとは意外ですね。
取材・文/インタビューマン山下
1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退。現在はインタビュアー・お笑いジャーナリスト