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平子理沙「JJと歩んだ青春」すっごく日焼けしたらスタッフが「焼かないで」
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2021.01.04 11:00 最終更新日:2021.01.04 11:00
「赤文字系」女性ファッション誌の代表格である『JJ』が、12月23日発売の2021年2月号を最後に不定期刊行となり、WEBで継続されていくことが発表された。1975年4月の創刊より女子大生のバイブルとして愛されてきた同誌を支えた歴代のレジェンドモデルたちが、『JJ』への思いを明かす――。
今回は、同誌で40代で表紙を務めた唯一のモデル・平子理沙だ。
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アメリカ留学中に、古舘伊知郎が司会を務める番組『F1ポールポジション』のレポーターにと、白羽の矢が立った平子。その後、「テレビに出ている気になるコ」として、『JJ』の企画で声をかけられ、モデルデビューした。
「当時の『JJ』は、アメリカ在住の日本人の女のコの間でもバイブルで、“ファッションの女王様” 的な存在。そこに、『ポーズなんて恥ずかしい!』と照れてばかりのド素人が入ったんです(笑)」
だが、平子の人気は凄まじく、すぐに「平子理沙のゴージャス大好き」という連載企画に抜擢された。
「あのころ、とくに流行っていたシャネルやヴェルサーチなどの私物を見せたり、海外でショップ取材をしたりと、さまざまなことをやらせていただきました。
ただ、当時すっごく日焼けしていて、紅茶くらいの色で、スタッフさんには『焼くのをやめてくれ』と言われていました(笑)」
その後人気絶頂のなか、平子はJJモデルを3年足らずで卒業。
「いろいろな経験を積みたくて卒業しましたが、モデルとしてイチから育てていただいた大切な場所なのは、ずっと変わりませんでした。なので、20年の時を経て、再び表紙に起用していただいたときは感動しました!
それなのに、休刊の知らせを受けて……。悲しいですね。けれど、みんなの心の中にずっとある雑誌です。だから必ずや、復活すると信じています!」
ひらこりさ
49歳 1971年2月14日生まれ 19歳で芸能界入りした。『JJ』『ViVi』などの専属モデルを務め、数々の雑誌のカバーを飾ってきたカリスマモデル
写真・玉井俊行
取材&文・植木麻利子
(週刊FLASH 2021年1月5日・12日合併号)