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曽我部恵一「今でも“晴茂君”と心の中で大切なやり取りをしてる」

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2021.01.13 11:00 最終更新日:2021.01.13 11:00

曽我部恵一「今でも“晴茂君”と心の中で大切なやり取りをしてる」

 

「この店は自宅の近所で、10年前から通う美味しいお蕎麦屋さんです。茶沢通りに面した店の佇まいも美しく、素敵なんです。お蕎麦も透明感があり、たくさん食べてももたれない。お出汁もすごくコクがあって素晴らしい。

 

 料理って、作り手の我が強い味もあると思うのですが、ここは本当に “一歩引いた” 美味しさ。そんな味のあり方や、こぢんまりとした店の雰囲気が、美しく感じられて好きですね」

 

 そう穏やかに語るのは、ロックバンド「サニーデイ・サービス」の曽我部恵一(49)。自身の運営するレーベル、経営するカフェやカレー屋もこの蕎麦屋「七つ海堂」と同じ下北沢にある。

 

 

 彼は、自身のバンドやソロで、これまでに60枚以上のアルバムをリリース。日本のロック史のなかでも、類を見ないほど多作なアーティストとして知られている。

 

「とくに計画性もなく自然に音楽活動しているので……。子供に食事を作ったり、家事をしている普通の生活のなかで曲は生まれるので、とくに自分が多作だとは思わないですね」

 

 日常において自由に音楽を奏でる「お父さん」でありながら、レーベルやカフェ、カレー屋を運営する事業家の顔も持つ。

 

「『事業や経営をずっとやっていこう』という気持ちは、じつはあまりないんです。周囲の人との行きがかりや、友情で成立している部分が多いですね。

 

 レーベルも、自分の作品を出す場所として始めたのですが、ほかにも好きなアーティストがいて、『その人のレコードを出したい』という思いで続けています。カフェやカレー屋も、シェフの友人がいて、『彼が活躍できる場を作りたい』という発想から始まったんです」

 

 こう控えめに自身の活動を語る曽我部。30年近いアーティスト活動のなかで、大きな変化もあった。メジャーデビュー以降、サニーデイ・サービスのドラマーを務めてきた丸山晴茂が、2018年に47歳の若さで急逝したのだ。

 

 生前から曽我部が、「本当に晴茂君ほどロックな人はいない」と語っていた丸山は、アルコールの過剰摂取に起因する病気を患い、入退院を繰り返し、バンド活動に支障をきたしたことが幾度もあった。

 

「晴茂君のことがあったからというわけでもないですが、僕はこの10年くらい、お酒を一切飲んでいないんです。晴茂君が努力してもお酒から抜け出せない姿を、メンバーとして近くでずっと見ていたので、『お酒は、やめられるならやめたい』と思っていました」

 

 断酒は、曽我部の音楽にもよい効果をもたらしたという。

 

「お酒を飲まないと、精神的にフラットな状態が続くので、楽曲制作にはいいような気がしています。ずっとリセットされないで音楽に向き合えるので、以前より突き詰めて、曲を細かく作り込むようになっている気がします」

 

 スリーピースバンドのサニーデイ・サービスにとって、丸山が欠けたことは大きい。それでも、「晴茂君の存在は以前より大きくなった」と曽我部は語る。

 

「晴茂君が亡くなってしまったことで、逆に『もうサニーデイ・サービスをやめるきっかけがないな』と思ったんです。最近は、バンドにとって重要なことは、『こんなとき、晴茂君はなんて言うかな』って頭の中で考えて決断しているほどです。晴茂君がいなくても、『いつも一緒にいる』感じがします」

 

 丸山亡き後、曽我部はベースギター担当の田中貴と活動を継続し、2人きりのパフォーマンスも披露した。2020年に新メンバーを迎え、ニューアルバムもリリースしたが、今も丸山はバンドとともにいるようだ。

 

「サニーデイの10枚めのアルバム『DANCE TO YOU』(2016年)に、『セツナ』という収録曲があるんです。僕の中でこの曲は、とくにサニーデイの代表作というわけではなかったのですが、なぜかYouTubeの再生回数は、この曲がいちばん多い。

 

 じつは僕がお蔵入りにしていたボツ曲なんですが、ある日、晴茂君が『あの曲、いい曲なのに、なんで出さないの?』って言ってきて、あらためてアルバムに入れたんですよ。そういったこともあって、今でも晴茂君とは、いつも心の中で大切なやり取りをしています」

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