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石丸謙二郎、役者人生を救われた『世界の車窓から』ナレーター秘話

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2021.01.18 16:00 最終更新日:2021.01.18 16:00

石丸謙二郎、役者人生を救われた『世界の車窓から』ナレーター秘話

 

「見てよこの魚! これは『スミヤキ』。三崎じゃ『ダツ』とも言うね。正式には『クロシビカマス』っていうんだけど、脂が乗って、めちゃくちゃうまいんだよ。その隣がね……」

 

 魚を見るのが楽しくて堪らない、と言わんばかりに、俳優石丸謙二郎(67)の口が止まらない。

 

 

「三浦半島で知っている魚屋はたくさんあるけど、この店がベスト。いい魚しか仕入れないんだ」

 

 登山にウインドサーフィン、釣りやキャンプと、とにかく多趣味でアウトドア派。その拠点がここ「まるいち食堂」。通い始めてから、20年以上になる。

 

「食堂といっても、基本は魚屋さん。三崎に来れば、ここで魚を買って帰るし、調理もしてくれるんです。三崎はマグロのイメージが強いけど、マグロはどこでも食べられる。本当の魅力は、“地の魚” なんだよ。さて、今日は……」

 

 そう言って選んだのが、カワハギとキントキダイ。これを刺身と塩焼でいただこうと、話は決まった。

 

 石丸といえば、1987年から続く紀行番組『世界の車窓から』(テレビ朝日系)のナレーターとして有名だ。

 

「番組が始まったのは、33歳のとき。放送回数は1万回以上。『徹子の部屋』にはかなわないけど、すごいことだよね。

 

 最初の収録のとき、1回だけテストがあったけど、それ以降は一度も『ああして、こうして』と言われたことがないんです。すべて自由にやらせてもらってます。自分が列車に乗ってるような気分でね。正直言うと、仕事という感覚は、ほとんどないかな(笑)」

 

 出身は大分県。高校を卒業後、俳優を目指して上京、日本大学藝術学部に入学した。

 

「芝居のことは、ほとんど知らなかった。知っている俳優の名前も、平幹二朗さんぐらい。森繁久彌さんのことさえ、知らなかったんだから」

 

 大学時代、新田次郎の『孤高の人』を読んで、衝撃を受けたことをきっかけに、登山に夢中になった。

 

「大分にいたときから山登りは好きだったんだけど、時間さえあれば山に行くようになっちゃった。知識もないし、いま思えば無茶な登山だったけど、楽しかった。

 

 でも大学3年のとき、友達が山で亡くなり、自分は何をやっているのかと考えるようになった。『芝居のために東京に来たんじゃないのか』と。山登りをやめて、大学もやめた。退路を断ったわけです」

 

 渋谷のラブホテルに、住み込みでアルバイトする生活。いくつもバイトを掛け持ちし、芝居の世界への道を探った。あるとき、「つかこうへいの劇団が、踊れる役者を探している」と友人に聞き、オーディションを受けたところ合格。

 

「正式なオーディションじゃなくて、裏口入学みたいなものですよ。つかさんが劇団を解散するまでの5年間、29歳のときまでお世話になりました。

 

 それからが、困った。何もないんですよ。仕事がなんにもない。30歳、31歳……。もう役者は無理かもしれない。そう思っていたところに、テレビのナレーションをやらないかという話が来た」

 

 テレビ東京の『おーわらナイト』という30分番組。声をかけたのは、テレ東で、つかが関わっていたドラマのプロデューサーだった。

 

「まさか、自分にナレーションの仕事が来るなんて。役者仲間からは、『お前は何を言ってるかわからない』と言われていたからね。テレビのスタッフも怪訝そうな顔をしてたけど、プロデューサーだけが『僕がいいと言ったらいいんだ』と言ってくれたおかげで、続けられたんです。

 

 その番組を見ていた別のプロデューサーから『新しい番組のナレーションをやりませんか』と連絡があった。それが『世界の車窓から』。固定収入が入ってくるようになって、ようやくバイトもしなくてよくなったんです。ありがたかった」

 

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