高校3年生のときに、『欽どこ』の出演が終了。見栄晴は、進路に悩んでいた。萩本は、そんな見栄晴に「将来はどうするんだい?」と声をかけた。
「僕は、『このまま芸能界で仕事をしたいです』と答えたんです。そうしたら大将が『見栄晴、芸能界もいいけど、大学に行ったほうがいいよ。大学は小学校、中学校の友達とは違った、一生つき合える友達が作れるところだと思う。俺は行きたくても行けなかったからさ』って、訥々と話すんです。そこで大学受験を決めました」
しかし、通っていた高校は進学校ながら、成績は最後方。一浪した。
「すると大将から、『勉強、やってる?』って電話があったんです。『夏期講習に行こうと思っています』って答えたら、『よかったら、うちへおいでよ。俺も勉強しようと思ってさ』って。
伺うと、大学受験をする倉沢淳美ちゃんもいました。そして大手進学塾から派遣してもらった講師に教えられ、3人での勉強が始まったんです。授業料ですか? 大将が払ってくれました」
そして見栄晴は、東海大学教養学部に合格。その30年後、さらなる感動のドラマが……。
「大将が、73歳で駒澤大学に合格したんです。もうびっくりして、『あの勉強は、このときのためだったんだ』と。『まさか』と『すげーな』が入り交じって、涙が止まりませんでした。やっぱり『萩本欽一』はすごい。僕は、とても貴重な経験をさせてもらったんです」
いわく「大将から芸を教えてもらったことがない」。
「でも、しばしば『大人の振舞い』は教えられました。たとえばゴルフに行くと、『見栄晴、ティーグラウンドで前のほうギリギリにボールを置く人がいるじゃない。そんなに飛距離は変わらないのに。まわりにセコいと思われるようなことをしちゃだめだよ』って教えられました。だけど、僕は今でも、ボールをギリギリまで前に置きます(笑)。
大将には、ほめられたことが2回あります。最初は『欽どこ』が終わったとき『上手になったね』と言われました。その後、僕が舞台に出ていたときに大将が楽屋に来てくれました。
そのときは、『お前のすごいところは、友達を作れるとこ。俺は、友達が作れないんだよなあ。だから見栄晴は、芸がなくても芸能界で生きていけるよ』って。これ、ほめられてないですね(苦笑)」
そんな萩本を見栄晴は「父」と慕う。2021年、『欽どこ』に出演してから40年を迎える。
「これだけ長く芸能界で仕事ができていることが、信じられません。なんとかやってこられたのは、きっかけをくれた大将と、支えになってくれた友達のおかげです。
僕は、ひとりでは何もできない人間。それは、本人がいちばんわかっていますから。これからもきっと、皆さんに助けられながら生きていくんだと思います(笑)」
苦笑しながら、思い出のローストビーフを口に運んだ。
みえはる
1966年11月13日生まれ東京都出身 15歳のときに、テレビ朝日系『欽ちゃんのどこまでやるの!』の新企画のオーディションを受け、多数のライバルがいるなか、ジャンケンで勝って「萩本見栄晴」役に合格。芸名は、これに由来。フジテレビONE『競馬予想TV!』への出演など、バラエティやドラマで幅広く活躍中
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写真・野澤亘伸
(週刊FLASH 2021年2月2日号)