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萩本欽一が教えてくれた「僕が『べらんめえ口調』をやめたわけ」最初はオネエ扱い

エンタメ・アイドル 投稿日:2021.02.01 16:00FLASH編集部

萩本欽一が教えてくれた「僕が『べらんめえ口調』をやめたわけ」最初はオネエ扱い

 

 萩本欽一さんといえば「ダメだよ〜」といった優しい口調のイメージですよね。しかし、もともと萩本さんは浅草の舞台に立っていた芸人で、同じく浅草出身の芸人・ビートたけしさんの先輩にあたります。当然若手の頃は「バカ野郎! この野郎!」といった今のたけしさんが使うような下町のべらんめえ口調だったわけです。

 

 では、なぜ萩本さんが現在のような優しい口調になったのか、萩本さんご本人が教えてくれました。

 

 

 当時21時台にまだバラエティ番組がなかった時代。萩本さんはプロデューサーに21時からバラエティ番組をやらせてくださいとお願いしました。するとそのプロデューサーが女性だったこともあったのか、ゴールデン帯の放送で萩本さんが使っているような汚い言葉使いはダメだと断られたといいます。

 

 そこで萩本さんは、自身が使っている下町言葉を変えないといけないと思いました。

 

「今まで『ダメだ!』って言ってたのをきれいにしないといけないので、『ダメだ!よ』にして。『よ』をつけて」

 

 そこから「ダメだよ〜」という優しい口調になっていったそうです。

 

 萩本さんが口調を変えた当初は、知り合いの女優さんから「『欽ちゃんはオネエじゃないの?』って評判になってるわよ」と教えてもらったそうです。このことから、当時は、萩本さんの口調に対し、相当違和感があったことがわかります。

 

 一方、萩本さんといえば「欽ちゃん走り」が有名です。その走り方のルーツは、萩本さんの弟子であるTake2・東貴博さんの父・東八郎さんにあったそうです。萩本さんが浅草で芸人の修行を始めた頃、東さんはすでに座長クラスで、芸人のいろはを教わった師匠にあたります。

 

「東さんは、舞台で手を上にあげて飛びはねながら走っていました。その走りのリズムがピョンピョンピョンじゃないんですよ。アッ・ピョン アッ・ピョン アッ・ピョンなんです。その動きでうれしいとか、いま逃げないとヤバいとか、すごく伝わるんです。リズムが芝居をしてるんだもん。これは偉大なと思って、もう目に焼きついちゃって」

 

 そんなある日、芝居で逃げるシーンがあり、萩本さんは舞台上を走り回ることになりました。

 

「舞台の袖から勢いよくバーッと出たの。そしたら『あっ、これ東さんのリズムだ!』と思って。でも走ってるときに腕を上げたら東さんになるから『それをしちゃダメだ』と思って、ふと気づいたら手を下げて横に振ってたの(笑)」

 

 これが「欽ちゃん走り」が誕生した瞬間だそうです。

 

取材・文/インタビューマン山下
 1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退。現在はインタビュアー・ライター・お笑いジャーナリスト

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