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佐藤弘道、「体操のおにいさん」時代を回顧…厳しかったNHK3禁

エンタメ・アイドル 投稿日:2021.02.10 11:00FLASH編集部

佐藤弘道、「体操のおにいさん」時代を回顧…厳しかったNHK3禁

「『体操のおじいちゃん』になっても頑張ります」

 

 NHKの長寿番組『おかあさんといっしょ』の第10代「体操のお兄さん」は、軽やかな足取りで、居酒屋「幸や」にやって来た。

 

 そして「よろしくお願いします!」と当時の笑顔のまま挨拶をした。聞けば52歳。驚くほど若々しい。

 

 

「今は『らくがきっ子体操クラブ』などの親子体操教室を主宰しているので、体を動かすことが多いんです」

 

 2011年に国立弘前大学大学院医学研究科に社会人枠で入学、親子体操が体に与える影響を研究して医学博士号を取得した。今でも医学部学部長講師として大学とは関わっている。

 

「親子体操がご縁で広島県北広島町の観光大使にも任命され、多くの方から刺激をいただけることで若さをキープできているのかもしれません。

 

 だけど無理が利かないと感じることも多くなりました。一昨年、左膝の調子が悪かったので病院でMRIを撮ったら、左膝内側の半月板が割れていました」

 

 怪我のことさえも明るく語るが、挫折を多く経験した。

 

「体操に興味を持ったきっかけは1976年のモントリオール五輪で日本男子が団体総合金メダルを獲ったことでした。塚原光男さん、監物永三さんたちの演技がカッコよくて、中学から体操を始めました。

 

 高校は日本体育大学荏原高校に進学して、器械体操部に入りました。練習はとにかく厳しかったですけど、3年生のときには種目別のつり輪で東京都6位になりました。

 

 しかし故障も多くて頸椎を亜脱臼。ワイヤーで固定する手術を受けたこともあります。そんな怪我が重なり、体操競技にはドクターストップがかかってしまったんです」

 

 大学は日本体育大学へ進んだ。保健体育の教員を目指して勉強する決意をしたが、体操競技を離れたことから虚無感に襲われてもいた。

 

「そのときに友人から、『日体大でなんの運動もしないわけにはいかないだろ』と、体への負担が小さい、器械を使わず体を動かす体操部に誘われました」

 

 そして4年生のときに教員採用試験を受けるも不合格。翌年の受験に備え、世田谷区教育委員会で非常勤職員として働くことになった。

 

「その後、やきとり屋を営んでいた父が病に倒れ、僕も手伝うことにしました。『このまま店を継ごうかな』と漠然と考えていたときに『おかあさんといっしょ』のオーディションがあることを知り、母の『受けてみれば』の声に背中を押されて人生初のオーディションを受けました」

 

 NHKのリハーサル室での一次審査。佐藤は若手俳優たち12人と、指示された『ぞうさんのあくび』などの振付をしたが、思うようにできず「落ちた」と思った。

 

「しばらくして店にいたとき、『二次審査に来てください』と電話がありました。驚くとともに嬉しかったですが、まだ一次通過(笑)。二次はカメラテストもあり、初めてメイクをしてもらいました」

 

 二次審査に進んだのは3人だった。ほかの2人とは表現力などの差は歴然。佐藤は「これで終わった」と思った。

 

「あきらめて店で仕込みをしていたら合格の電話がありました。喜びより、戸惑いを感じましたね。『僕でいいんですか?』って尋ねたほどです」

 

 佐藤は人生の転機になる知らせを、「やきとり屋」の実家で聞いた。

 

「幸や」に足繁く通う理由を「肉、魚、野菜、どの料理もすごく美味しいから」と言うが、そこには未知の芸能界へ踏み出す前に抱いた「不安と期待」を思い起こす「実家と同じ空気感」があるからではないだろうか。尋ねると、佐藤は「そうかもしれません」と店内を見回した。

 

 合格後は苦難が待っていた。番組はスタジオでの公開収録。相手は行動が予測不能な子供たちである。

 

「先輩お兄さんとバトンタッチする前に研修で地方収録に同行するんですが、いきなり泣きだす子、お母さんのところに行ってしまう子、セットの陰に隠れてしまう子。その光景を見て『どうやって接すればいいんだ』と悩みました」

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