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みのもんた直撃「古舘伊知郎が昔、みのさんの追っかけだったってホント?」

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2021.02.08 16:00 最終更新日:2021.02.08 16:00

みのもんた直撃「古舘伊知郎が昔、みのさんの追っかけだったってホント?」

 


 古舘伊知郎さんにとって、みのもんたさんは立教大学の10年先輩にあたります。古舘さんは中学生の頃からみのさんがパーソナリティーを務めていたラジオ『セイ!ヤング』(文化放送)を聞き、自身もラジオのパーソナリティーをやりたいと思い、アナウンサーを志したそうです。

 

 高校生になった古舘さんはアナウンサーになりたいことをみのさんに相談したいと思い、みのさんのサイン会の行列に並びました。

 

 

 自分の順番が来た古舘さんが「アナウンサーになりたいです」と伝えたところ、みのさんは「なれるに決まってんじゃん」と勇気づけてくれたと、ゲスト出演した『辛抱治郎 ズーム そこまで言うか!』(ニッポン放送)でお話しされています。

 

 サイン会に並ぶくらいですから、古舘さんはれっきとしたみのさんの追っかけですよね。そのことをみのさんに聞いてみると、当時のことを懐かしそうに話してくれました。

 

「そう。彼は僕がやっていた深夜ラジオ『セイ!ヤング』のファンだったの。ラジオの催しがあると、よくスタジオに遊びに来てくれてたよ。

 

 そういう関係からご飯に行ったり飲みに行ったり、よくくっついて来てたね。俺以上に銀座が好きでさ。先に席を取って待っているような感じだったよ(笑)」

 

 古舘さんは、テレビ朝日のアナウンサーになってからも、みのさんのカバン持ちをやっていたというから驚きです。古舘さんは今でもみのさんのことを自分にとって「神様です」と公言しています。

 

 みのさんに古舘さんの印象を聞いてみると、「彼は才能があったね。しゃべり方は巧みだし。テレビ朝日に入ってプロレスの実況を始めた途端、バーンと爆発したもんね。機関銃みたいに出る言葉の豊富さはマネできないよ」と称賛していました。

 

 お互いを尊敬し合える、素晴らしい関係性ですね。

 

取材・文/インタビューマン山下
 1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退。現在はインタビュアー・ライター・お笑いジャーナリスト

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