「その瞬間、みんな言葉にはしませんでしたけど、目が『それは……無理だよ』と言ってました(笑)。でも、無理を承知で、手紙を書いてみようということになって」
まずは、鉛筆で下書き。何度も何度も書き直し、次は筆に替え、そこでもまた、何度か書き直した。
「失礼なことを書いていないか? 言葉遣いを間違えていないか? 読み返しては直しての繰り返しで、封をする瞬間は、もう心臓がバクバクしていました」
《――はじめまして、演歌歌手の坂本冬美と申します。》
そんな書き出しで綴った “ラブレター” は、溢れるような想いが綴られ、最後は《曲を書いていただけませんでしょうか》という言葉で締められていた。
「『スタジオにいらしてください』というお返事をいただいたのは、それから数カ月後です。その時点では、『きっと、お断わりされるんだろうな』と思っていたんです」
そう思ったのも無理もない。それまでの23年間、桑田佳祐は、どのアーティストにも楽曲を提供してこなかったのだ。
「そう思いますよね。ところがです。『お忙しいなか時間を作っていただきありがとうございます。お返事が遅くなってすみません』と丁寧なご挨拶のあと、『こんなものを書いてみたんですが、どうでしょう?』と、おっしゃりながら出してこられたのが……」
桑田佳祐が坂本冬美のために作った曲『ブッダのように私は死んだ』だった。
「後で伺ったところによると、桑田さん流のサプライズだったんですが、私はそれどころじゃなくて、ずっと頭の中がぐるぐるしっぱなしでした」
かつて坂本冬美は、「私にとって『夜桜お七』を超える情念的な歌は、もうないと思う」とまで話していた。だが今回、運と縁とタイミングが重なり、桑田佳祐によって、その殻が打ち破られたのだ。
「これまでの私は、この歌を歌うためにあった。階段をひとつずつ上がってきて、辿り着いた先に、この歌が待っていたと思っています」
「作詞・作曲桑田佳祐」と記されたCD『ブッダのように私は死んだ』を手にした坂本冬美は、満面の笑みを浮かべながら、こう言い切った。
「時代を超えて歌い継がれる歌になるよう、一回一回、心をこめて歌い続けていきます」
さかもとふゆみ
1967年3月30日生まれ 和歌山県出身 1987年『あばれ太鼓』でデビュー。『祝い酒』『夜桜お七』など数多くのヒット曲を持ち、『また君に恋してる』は社会現象にもなった。2020年11月にリリースされた桑田佳祐作詞・作曲『ブッダのように私は死んだ』が大ヒット中。3月15日まで、東京・明治座にて座長公演『坂本冬美芸能生活35周年記念公演 泉ピン子友情出演』を開催中
写真・中村功
スタイリスト・小泉美智子
ヘアメイク・岡崎じゅん
着付・斉藤祥江
取材&文・工藤晋
※本誌3月30日発売号より、坂本冬美の新連載「坂本冬美のモゴモゴモゴ」がスタート
(週刊FLASH 2021年3月9日号)