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名曲散歩/吉幾三『俺ら東京さ行ぐだ』最初のタイトルは『離村者』だった

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2021.02.28 16:00 最終更新日:2021.02.28 16:00

名曲散歩/吉幾三『俺ら東京さ行ぐだ』最初のタイトルは『離村者』だった

 

 東京・神田の古いビルの2階。そこには夜な夜な紳士淑女が集まり、うんちくを披露しあう歌謡曲バーがあるという。今宵も有線から、あの名曲が流れてきた。

 

お客さん:お、このイントロは吉幾三の『俺ら東京さ行ぐだ』。日本語ラップの先駆けともいわれているよね。

 

マスター:もともと吉幾三は苦労人。1973年、山岡英二の芸名で歌手デビューしたんだけど、まったく売れず、江東区の喫茶店でアルバイトしながら曲を作り続けた。

 

 

お客さん:夢と希望を抱いて青森から上京したけど、現実は厳しかったわけだ。

 

マスター:デビューから4年目のある日、夜中に突然、レコード会社から呼ばれた。そこでレコーディングしたのが『俺はぜったい!プレスリー』。スタジオにはチューニングの甘いギター1本だけ。本人は単なるデモテープのつもりで歌ったものが、なぜか世に出た。

 

お客さん:それが最初のヒット曲!

 

マスター:しかもこのとき、レコード会社は勝手に名前を吉幾三に変えていた!

 

お客さん:そりゃ本人も驚いただろうね。

 

マスター:一気にブレイクか! と思ったら、その後、再び低迷期に入ってしまう。

 

お客さん:普通なら一発屋で終わるんだけどね……。

 

マスター:その窮地を救ったのが、同じ東北出身の千昌夫だった。ある日、千昌夫の家に呼ばれた吉幾三が、自ら作詞作曲した『津軽平野』を聞かせたところ、千がいたく気に入り「この曲を俺にくれ!」と頼まれた。

 

お客さん:『津軽平野』もいい歌だ。

 

マスター:ついでに『俺ら東京さ行ぐだ』も聞かせたら、「これは絶対に売れる! 俺のレコード会社から出せ」となり、1984年にリリースして、そのとおり大ヒット!

 

お客さん:千昌夫の先見の明だね。『ザ・ベストテン』(TBS系)でも、おなじみのねじり鉢巻きにサングラス、ハッピ、ニッカボッカー姿で歌っていたよな。

 

マスター:ただ、全国の田舎に住んでいる人たちからは「そんな村があるかー!」とレコード会社にがんがんクレームが入ったそうだ。ちなみに吉幾三がつけたもともとのタイトルは『離村者』だったという。

 

お客さん:“村を離れる者” か。すいぶん固いタイトルだったんだね。

 

 おっ、次の曲は……。

 

文/安野智彦
『グッド!モーニング』(テレビ朝日系)などを担当する放送作家。神田で「80年代酒場 部室」を開業中

 

参考:ニッポン放送『とくモリ!歌謡サタデー』(2021年2月20日)/スージー鈴木『1984年の歌謡曲』(イースト新書)

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