東京・神田の古いビルの2階。そこには夜な夜な紳士淑女が集まり、うんちくを披露しあう歌謡曲バーがあるという。今宵も有線から、あの名曲が流れてきた。
お客さん:お、このイントロは小林旭の『熱き心に』。いかにもマイトガイ(ダイナマイトのような男<ガイ>)らしいスケールの大きい雄大なサウンドだよ。
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マスター:1985年にリリースされたこの曲は、インスタントコーヒーのCMソングとして印象が深い。なんといっても作詞・阿久悠、作曲・大瀧詠一、そして歌うは小林旭!
お客さん:超大御所のそろい踏みだ!
マスター:もともと小林旭の大ファンとして有名な大瀧詠一が曲を書いていて、作詞を阿久悠に依頼したんだ。
お客さん:大瀧詠一といえば、その相棒は松本隆なんじゃないの?
マスター:この曲に関しては、都会的なセンスの松本隆ではなく、男の歌が書ける阿久悠を選んだというわけだ。
お客さん:なかなかレアなコンビだよね。
マスター:そう、2人はこのときが初対面だった。日比谷の東京會舘で大瀧詠一から曲を受け取った阿久悠は、伊豆の旅館にこもり、1週間かけて書き上げたという。
お客さん:阿久悠としても力が入ったんだね。
マスター:阿久悠はこの1985年を特別な年ととらえていた。日航ジャンボ機墜落、『8時だよ!全員集合』(TBS系)の終了、『ニュースステーション』(テレビ朝日系)のスタート、夏目雅子死去、そして……。
お客さん:阪神タイガース日本一!
マスター:阿久悠はこう回想している。「そういう時代の空気の中で、何となく男の影が薄くなる哀しみを感じ、ぼくは、小林旭を男の最後の切り札のように思い、『熱き心に』という大スケールの詞を書いた」。
お客さん:さあ、その男の最後の切り札、小林旭だ!
マスター:実は、『熱き心に』の詞とデモテープをもらった時点では、ピンとこなかったという。ただスタジオでイントロを聞いた瞬間、「これは『西部開拓史』だ。ハリウッド映画で雄大な景色の中、疾走する駅馬車、馬に跨る主人公の姿などが一瞬にして思い浮かんだ」そうだよ。
お客さん:小林旭の脳内にグランドキャニオンのあの風景が広がったんだね。
マスター:そう、日活映画ではない、ジョン・ウェインの世界ね。
お客さん:『熱き心に』がスケールの大きな歌になったのは、そういうわけだったんだね。
おっ、次の曲は……。
文/安野智彦
『グッド!モーニング』(テレビ朝日系)などを担当する放送作家。神田で「80年代酒場 部室」を開業中
参考:阿久悠『歌謡曲の時代 歌もよう人もよう』(新潮社)/大瀧詠一『大瀧詠一と大滝詠一のソロ活動40年史』(河出書房新社)/大瀧詠一『大瀧詠一Writing&Talking』(白夜書房)