ここで諦めかけた渡辺に、大きなチャンスが巡ってくる。たまたま代役を務めた学内の舞台を「劇団☆新感線」のいのうえひでのりが観ていた。
「気持ち悪い演技をする」と彼の目に留まり、「劇団☆新感線」の一員となる。
「のちに僕が勧誘しますが、3つ下に古田新太が、京都の小劇団『劇団そとばこまち』には生瀬勝久さんがいて。僕が大学時代に見て抜群にうまいと思ったのはこの2人。
何十年もたった今でも、このときにすごいと思った人がしっかりと売れているのはまさに実力の世界だなと実感します」
「劇団☆新感線」を経て東京に進出した渡辺は、「状況劇場」に入団。2年で解散した後はプロデュース公演をおこなっている劇団を渡り歩く。
「24〜26歳ぐらいで、このころの僕は本当にひどかった。とにかく目立たないといけないと思って、自己アピールばかり考えて舞台に立ってました。
自分が客席を沸かすから、それまではつまらない話になってればいいと思ってたぐらいで、共演者から嫌われている役者だった。
文学座のベテランの方から『いっけいちゃん、芝居っていうのはみんなで作るものなんだよ』と飲み屋で静かに言われたこともありましたが、その言葉すら右から左へ流してました」
■三谷作品に感動し、考え方が大きく変わる
そんなときに観に行った芝居が三谷幸喜氏が主宰していた「東京サンシャインボーイズ」の『ショウ・マスト・ゴー・オン 幕を降ろすな』だった。
「どの役者がおもしろいかと、まずは査定から始めます。でも、いつの間にか物語に引き込まれて、気がつくと拍手をしていてね。
その日は楽日で、鳴りやまない拍手っていうのを初めて経験しました。このときにやっと気がつくんです、芝居は役者の品評会じゃないんだって。
物語を楽しむものなんだって。このことに気がついたのが僕にとっては本当に大きかったんです」
それから渡辺は変わった。NHKの朝の連続テレビ小説『ひらり』に出演したことも大きかった。30歳のときだ。
「NHKのディレクターが、映像の場合は演技はこうしたほうがいいとか、本当に細かく教えてくれました。
『ひらり』放送後に出演した『クロレッツ』のCMも大きかった。亡くなられた市川準監督が僕の横顔がおもしろいと撮ってくださったんですが、この映像の2作品は僕にとって本当に大きい仕事でした」
渡辺はいま58歳。活躍の場は多いが、舞台だけは絶対に続けたいと言う。
「生の舞台は体力的にも、やり直しがきかないという意味でもしんどい。でもお客さんにさらされ続けないといけないんじゃないかなって思うんです。
僕の中で目指したい役者さんが何人かいて、伊東四朗さんはそのお一人。『ひらり』でご一緒したときに台本を外してリハーサルをされていて、僕も見習ってそうしてきました。
先日観た舞台では、肩の力が抜けた本当に素晴らしい芝居だった。今でもリハーサルでは台本を外していらっしゃると聞き、ただただカッコいいなと思いましたね」
NHK大河ドラマ『青天を衝け』では藤田東湖を熱演し、映画版『バイプレイヤーズ』にも出演。
「『状況劇場』の先輩もいて、それこそカオスで楽しかったです。僕はものを作り込んでいく作業が好き。これからも自分が入り込める役をやっていきたいと思っています」。
わたなべいっけい
1962年10月27日生まれ愛知県出身 1983年、大阪芸術大学在学中に学生劇団「劇団☆新感線」に参加。1985年、大学卒業後に上京し、「状況劇場」に入団(1988年に退団)。1992年、NHK連続テレビ小説『ひらり』で好演して以後、多くのテレビドラマでも活躍。現在放送中のNHK大河ドラマ『青天を衝け』では徳川斉昭の側近・藤田東湖を演じた
【カフェ カナン】
・住所/東京都世田谷区北沢2-7-6 テクノプラザ下北沢102(京王井の頭線・小田急線「下北沢駅」より徒歩2分)
・営業時間/10:30〜19:00(カフェ)、19:00〜5:00(バー
・休み/不定休
※緊急事態宣言下のため要確認
写真・野澤亘伸
ヘアメイク・園部タミ子
(週刊FLASH 2021年3月30日・4月6日号)