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有吉弘行、『進め!電波少年』で毒舌キャラが消された理由は…プロデューサーが証言
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2021.04.05 16:00 最終更新日:2021.04.05 16:00
4月2日、自身のSNSで「ご報告です」と題し、フリーアナウンサーの夏目三久さんと結婚したことを報告した有吉弘行さん。このたびはご結婚おめでとうございます。
有吉さんは現在13本のレギュラー番組を持ち、うち12本が有吉の名前がつく冠番組。この実績から見ても、日本一の司会者に上りつめたと言っても過言ではないでしょう。
近年のバラエティ界は「人を傷つけない笑い」がトレンドになっています。そんな時代、毒舌キャラの有吉さんがこれだけ活躍できているところに、すごさを感じます。
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有吉さんが最初に世に出たのは、今から25年前の『進め!電波少年』(日本テレビ系)のヒッチハイク企画。香港からロンドンまで、ヒッチハイクで半年間かけてユーラシア大陸を横断するというものでした。
ゴールした後は全国的な知名度を獲得し、メディアに引っ張りだことなりました。その後、猿岩石で出した曲『白い雲のように』はミリオンセラーとなり、1997年『第39回日本レコード大賞』の新人賞を受賞し、猿岩石はアイドル的な人気者となりました。
読者の皆さんもそうでしょうが、筆者には、猿岩石時代の有吉さんに毒舌という印象はまったくありません。しかし、実はこの頃からすでに毒舌だったと『進め!電波少年』のプロデューサー土屋敏男さんが、以前、教えてくれました。
「VTRの編集のときに映像を見ると、有吉は態度が悪くて、愚痴を言ったりタバコを吸いながらヒッチハイクをしてたんですよ。ヒッチハイクは視聴者から愛されないといけないから、編集のときに『態度悪いな』と思ったところを全部切らないといけない。だから『めんどくせーな』と思ってましたよ(笑)」
有吉さんの毒舌はヒッチハイクの企画に必要なかったため、土屋さんがすべてカットしていたのです。しかしヒッチハイクの後半は徐々に愚痴も出なくなったと土屋さんは言います。
「ヒッチハイクのときは本当に食べ物がないから、食えるためだったら、丸坊主だろうが何だろうが、かまわずやる状態になってくるんです。そしたらだんだんピュアな、きれいな目になってきましたね。態度もよくなってきたから、使える映像も増えました(笑)」
ヒッチハイクの過酷さから、芸人のキャラクターも自然に変わっていくのですから、当時のロケがいかに大変だったのか、うかがい知れます。
その後、猿岩石が解散するなど一時低迷しましたが、2007年の『アメトーーク!』(テレビ朝日系)で品川庄司・品川祐さんのことを「おしゃべりクソ野郎」と呼んだことで笑いが爆発し、俗にいう「おしゃクソ事変」が起こります。これをきっかけに毒の利いたあだ名をつけるキャラが浸透し、再ブレークを果たしました。
ちなみに2009年の『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ)の「シンクロナイズドテイスティング」のコーナーで、筆者は日本チームで、有吉さんはロシアチームで共演した経験があります。
その収録でも、有吉さんは共演者にあだ名をつけて爆笑をかっさらっていました。一方、筆者は『めちゃイケ』という大舞台で大スベリしてしまい、ショックで熱が出て3日間寝込んでしまったのです。『スベリ熱』というものが存在することを、このとき初めて知りました。
収録後、筆者は有吉さんの本番でのウケ具合があまりにもすごかったため、その思いを有吉さんに伝えました。すると筆者がその直前に大スベリしていたこともあって有吉さんは返答に困り、ただただ苦笑いしていました。その節は気を遣わせてしまい申し訳ございません。
最後に改めまして、有吉さん、夏目さん、ご結婚おめでとうございます。末永くお幸せに。
取材・文/インタビューマン山下
1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退。現在はインタビュアー・ライター・お笑いジャーナリスト