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さだまさしが愛を捧げた!【4月10日の話】日本初の女性代議士が誕生

エンタメ・アイドル 投稿日:2021.04.10 06:00FLASH編集部

さだまさしが愛を捧げた!【4月10日の話】日本初の女性代議士が誕生

女性代議士の集会で話す加藤シヅエ(写真:近現代PL/アフロ)

 

 1946年4月10日、第22回衆議院選挙で、日本初となる39人の女性代議士が誕生した。

 

 女性代議士たちを実際に取材した経験のある歴史ジャーナリスト・岩尾光代さんは、女性参政権が認められた経緯についてこう語る。

 

「戦後にGHQが日本に来ましたが、GHQには、日本を解放するという意図がありました。その第一歩として、女性解放があった。それを、当時新しくできた幣原喜重郎内閣がうまいこと忖度して、女性参政権を導入したんです。

 

 

 占領軍に与えられたというイメージもあるでしょうが、日本側の知恵も働いたということですね。女性に参政権を与えることには、何のマイナスもないわけですから。

 

 この選挙で当選した山口シヅエさんは、『あの選挙は、民主主義の祭りでした』と振り返っていました」

 

 当時、79人の女性候補者たちから、39人が当選した。候補者たちには、医師や教師出身者、諸事情で出馬できなかった夫の代わりに選挙に出る、いわゆる「身代わり候補」が多かった。

 

「医師と教師は、お世話になったとか、自分の恩師といった理由で、組織票が取れる職業なんです。ですから、議員がどういうものなのか、本当に知っている人はあまりいませんでした。

 

 一番知っているのは、夫と一緒に選挙活動をしてきた身代わり候補でしょう。彼女たちは夫を通じて政治を学びますから。意外と、身代わり候補のなかから、本物の女性政治家が育つケースもあったんです」(岩尾さん)

 

 岩尾さんが、本人や周りの人たちに取材をしてきたなかで、印象的だった人は何人もいる。

 

「一番おしゃれさんだったのは、日本橋出身で『下町の太陽』と呼ばれた山口シヅエさん。弟を戦争で亡くしたことをきっかけに政治家になった人です。

 

 私は役人時代、国会で仕事をしていたんですが、彼女はいつもハイヒールを履いてさっそうとしていました。取材のとき、彼女がハイヒールを脱いで、赤いペディキュアを見せてくれたの。

 

 なぜペディキュアしてるかっていうと、選挙活動もハイヒールでやるものだから、足の爪がはがれて、次の爪が生えきらないうちにまた選挙が来てしまう。

 

 だからペディキュアを塗って爪を守っているんです。『これが私にとって、選挙の証なのよ』と話していました。

 

 戸叶里子さんという方は、もとは夫の身代わり候補として出馬しています。その後も政界に残り続けて、社会党の副委員長にまでなりました。

 

 副委員長になるまでのご苦労は大変なものだったでしょうが、戸叶さんには地元の根強い支援者がいて選挙に強かった。もっと社会党がしっかりしていれば、初の女性総理大臣になるんじゃないか、なんて声もあったぐらいです。

 

 三木キヨ子さんという方も異色でした。もともとは大阪で喫茶店やアパートを経営していて、自分でお金を稼ぐ能力を持った商売人。当選から10日後に学歴詐称が発覚して、ずいぶん騒ぎになりました。

 

 あとで、三木さん本人に『どうして学歴詐称なんてしたんですか?』って聞いたら、『だってたくさんあった方がサービスになると思って』という明快な返事が返ってきて(笑)。

 

 自分をえらく見せようとかじゃなくて、何かしたい、っていう気持ちの現れだったんだろうと思います。大阪の夕刊紙にはずいぶん批判されたようですが、それにもめげない強い人でしたね。

 

 実業家の家に生まれた加藤シヅエさんは、夫の留学を追いかけて渡米した先で社会運動に出会い、日本に戻ってから女性解放運動に尽力された方でした。

 

 当選当時は48歳でしたが、すでに基盤があったんです。アメリカでも知られた存在で、社会運動をわかっていて英語もできる人でしたから、GHQは加藤さんをずいぶん頼りにしたと思います」

 

 実は加藤シヅエは、さだまさしの『関白宣言』をいたく気に入っており、さだとも交流が深かったという。2001年に加藤が亡くなった後、『勇気凛々~故 加藤シヅエ先生に捧ぐ~』という曲をリリースしたほどだった。 

 

 さだまさしが、加藤シヅエに関するコメントを出してくれた。

 

《日本で最初に女性代議士になった加藤シヅヱ先生は戦後の日本に於ける「女性解放」の最強の戦士の一人であり、社会党の加藤勘十先生の奥様でいらしたので、そのような方がまさか世間から「女性蔑視」と叩かれた「関白宣言」が大好きだとは思わなかったが、何だか凄く嬉しかったのを憶えている。

 

 それで先生の米寿のお祝いに(お嬢さんの)タキ姐と相談してご自宅に押しかけてライブをやった。「関白宣言」についてシヅヱ先生は僕にこんなエールを送って下さった。

 

「あなたは正しいことを言ってます。それにこの歌は良い歌です。愛とはこういうモノです。これが分からない女や男は莫迦です。幸せはこういうものです。私はそのように生きてきました」と。

 

 僕はそれ以来、色々言いたがる世間に対して「俺の背中には加藤シヅヱがついているんだ、さあ、かかってこいや!」てな気分になりましたよ》(さだまさしコメント)

 

 かくして、39人の女性代議士は誕生した。岩尾さんは、女性当選者たちの功績をこう捉えている。

 

「澤田ひさという方が、戦後、海外からの日本人引き上げに関して、ある演説をしたんです。澤田さんは、自分の息子は戦地に出たまま行方知れずだと明かし、『こおろぎが鳴き、夜寒を覚えまする此(こ)の秋になって参りますと、我が子の上に思いを寄せまして、半夜は涙に暮れる夜があるのでございます』と、母親としての素直な気持ちを語りました。

 

 こんな演説、憲政史上、後にも先にもないと思います。場はシーンとなったみたいで、議事録を見ても、やじの一つも飛んでいませんでした。

 

 おそらく、男の人はそんなことを本会議場で話そうだなんて思わないでしょう。仮に話したとしても、あそこまで訴える力があったとも思えない。女性が出てきたということは、そうしたむき出しの面を出せるということです。女性が議員になったことが、あらゆる意識改革に影響を与えたと思います」

 

※次ページで、さだまさしのコメントを全文掲載しています。

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