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氣志團 綾小路翔「僕は、ヒーロー像を演じるコスプレイヤー」/デビュー20周年インタビュー前編

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2021.04.27 11:00 最終更新日:2021.04.27 11:10

氣志團 綾小路翔「僕は、ヒーロー像を演じるコスプレイヤー」/デビュー20周年インタビュー前編

写真右から頭の位置順に、綾小路、西園寺、白鳥、星、早乙女

 

「あのころは、メンバー全員が “ここ” の近所に住んでいて。毎日集まって、楽器を弾くか酒を飲むか。くだらない話ばかりして……青春だったな」

 

 東京都杉並区の東高円寺駅から歩いてほどなく――。階段を下りたアパートメントの地下1階にあるライブハウス「ロサンゼルスクラブ」を懐かしむのは、「氣志團」のメインボーカルの綾小路 “セロニアス” 翔だ。

 

 

 彼に加え、ダンサーの早乙女光、ギターの西園寺瞳と星グランマニエ、ベースの白鳥松竹梅、ドラムスの白鳥雪之丞(無期休学中)からなるロックバンド・氣志團。6人にとってロサンゼルスクラブは、結成の原点となる場所だ。

 

 今回、氣志團の「メイジャーデビュー(※)20周年」を記念し、この原点の地から綾小路へのインタビューを開始。“永遠の16歳” が歩んだ足跡をたどる。

 

 

――まずは、氣志團の歴史から振り返らせてください。ロサンゼルスクラブで結成したきっかけとは?

 

「僕が1997年に、ロサンゼルスクラブでバイトを始めたんですよ。当時は光(早乙女)、ユッキ(雪之丞)を含む、木更津の同級生4人組でバンドを組んでいました。

 

 そこにバイト仲間だったトミー(西園寺)とランマ(星)が加入して、ランマの友人だった松(松竹梅)も入ってきたんです。だから、この場所がなかったら氣志團は結成していなかったと思いますね」

 

――当時は下積み時代だったと思いますが……。

 

「ぜんぜん、下積みって感覚はなかったんですよね。ただただ、楽しいというか。もちろん、お金はなかったですけど。メンバーそれぞれの給料日はだいたい把握していたので『誰かの給料日を狙って飲む』みたいな(笑)。

 

 光はデビュー後もしばらくサラリーマンを続けていて、彼のボーナスは、すべて氣志團の飲み代に消えたと思う。こっちは『ボーナス出たら、しばらくタダ飲みできるな』くらいの気持ちでした……(笑)」

 

――苦労はありましたか?

 

「まあ、お風呂ですよね。上京してからデビュー2年めくらいまでは、つねに “風呂なしアパート” でした。僕は『都会に住まないと、何かチャンスが来ても逃してしまう』と考えていたので、家賃を削ってでも “トーキョーライフ” を続けると決めていました。

 

 でもGIG(ライブ)後に、夜中だと銭湯がやってなくて、リーゼントヘアが洗えないのはキツかった。ロサンゼルスクラブの流し場で洗ったこともあります」

 

――その状況を変えたのが、デビュー曲でもある『One Night Carnival』だったと思います。

 

「当時、青梅街道と環七が交わる交差点を歩いていたら、暴走族が通ったんですよ。20世紀最後の2000年に、『東京にもまだコテコテの “族” がいるんだ』と興奮して、中学のときに初めて(木更津を通る)国道127号線に見に行った、先輩たちの集会がフラッシュバックしてきたんです。そのときに、自然とサビのメロディと歌詞はできていました。

 

 後日、メンバーが集まったときに、『ツッパリと真逆のことをテーマにしたらおもしろい』と話しました。それで出てきたのが “ディスコ調“ で、“語り“ が入って、“パラパラを踊る” ということだったんです。

 

 だから、昔ならヤンキーといえば『男の勲章』が流れるところに、今ではこの曲が使われたりして、“ツッパリ代表曲” として市民権を得られたことは、不思議な気持ちでもあります」

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