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登坂淳一、新米パパが明かす「妊活は妻の負担が99%」難関“Xデー”の乗り越え方は?
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2021.04.29 11:00 最終更新日:2021.04.29 11:57
4月28日に自身のブログで、第1子誕生の喜びを明かした、フリーアナウンサーの登坂淳一(49)。4月27日12時35分に妻が出産してから約2日、現在の心境を本誌にこう明かす。
「初めて娘を抱っこをしたときに、とてもふわふわで小さくて、『守ってあげたいな』と本当に心から思いました。『ずっと見ていても飽きないものなのだな』と、不思議な気分です」
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NHKアナウンサー時代には「麿(まろ)」の愛称で親しまれた登坂は、2018年1月にフリーに転身し、2019年3月に結婚。その後まもなく始めた「妊活」について、赤裸々に語ってくれた。
2021年の6月で50歳になる登坂。パパデビューに不安はなかったのか?
「どうしても、体力面の問題はありますよね。何もしなければどんどん衰えていくわけですから。それで2年ほど前から週に1回、トレーニングジムに通っています。別にマッチョになりたいわけじゃないんですが、健康維持と体幹を鍛えるため、必要最小限の筋力を付けようと思って。
4月頭にベビーカーを買ったんですが、トレーニングのおかげなのか、少しのあいだ持ち上げていても、ぜんぜん平気なんですよ(笑)。あとは月並みですが、睡眠は8時間ほど確保し、食事で栄養をきちんと摂っています」
登坂夫婦は、二人三脚で不妊治療に取り組んできた。
「結婚したとき僕は47歳で、彼女は30代後半でした。結婚を決めたときから『できれば子供を持てればいいよね』という話をしていましたが、お互いの年齢を考えたら、時間的余裕はあまりありませんでした。それで2019年の7月ごろから、不妊治療を受けることにしたんです。
最初は、2人の体が条件的に問題がないか、スクリーニングを受けるところから始まりました。血液マッチングを2回やってチェックして。とくに僕は “遅い妊活” でしたので不安もありましたが、幸い、お互いに子づくりに問題はないという結果が出たんです。でも、すぐに結果はでませんでした。
それから妊娠に至るまで、着床してもうまく育たなかったりと、妻の流産を2回経験しました。聞いた瞬間は落ち込みもしましたが、クリニックの先生が一緒に原因を考えてくださり、『次はこうしてみませんか?』と親身にご提案をくださったことで、精神的にだいぶ助けられました。その甲斐もあって、4回めで子供を授かることができたんです」
妻の妊娠期間を、コロナ禍で過ごしてきた登坂には、大切な “気づき” があった。
「僕の感覚では、不妊治療・妊娠期間を通して妻の負担が99%で、僕ができることは、ほぼありませんでした。たとえば、うちは妻のつわりがヘビーで、平均よりも早く出たうえに、3カ月近く続いていました。朝晩日中と時間を問わず苦しむ妻に、背中をさするぐらいしかできない僕は、そばで見ていて『コレ、終わるのか?』と思ってしまったほどでした。
でも、僕がフリーになっていたことと、コロナ禍の影響で、つわりで苦しむ妻と一緒にいる時間が大幅に増えました。だから、『子供を授かることで妻がどれだけ大変なのか』ということを実感できてたんだと、今は思っています。コロナのない環境でサラリーマンだったら、妻の苦労を知らずにいたかもしれませんから」
無力感を抱えながらも、登坂は自分にできることを模索し続けた。
「通常時なら、『パパママ学級』のような講習に行くこともできたのでしょうが、コロナ禍でそうした準備を妻とともにすることもできませんでした。僕にできることといえば、一緒に病院に行って医師の話を聞いたり、妻の話をよく聞いたりして、感情を共有することぐらいでしたね。
あとは、不妊治療や妊娠期間について、ほかの方が書かれた体験談を読んだり、いろいろ調べたりしました。一方で、こういうときに大切なのは、“調べすぎない” ことです。情報はいくらでも出てくるものですので、あくまで必要なものだけに絞ることが大事です。あとは、たとえばおすすめの食品ひとつとっても賛否があったりしますので、誰かの意見に “全乗り” しないこと。僕の場合、そのあたりはNHK時代の経験が活きました。
妻も僕も、不安を完全に取り除くことはできません。でも不安な思いに駆られるたびに『出来ることはやっているじゃないか』と思い出すことで、『うまくいかなかったら、そのときまた次の手を考えよう』というマインドに切り替えることができたんです」