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登坂淳一「浜田雅功さんに頭を叩かれて…」元NHKキャスター“NGなし”の仕事哲学
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2021.05.02 06:00 最終更新日:2021.05.02 06:00
4月28日に自身のブログで、第1子誕生の喜びを明かした、フリーアナウンサーの登坂淳一(49)。NHKアナウンサー時代には「麿(まろ)」の愛称で親しまれた登坂は、2018年1月にフリーに転身し、2019年3月に結婚。2021年4月8日には、自身のYouTubeチャンネルでの配信動画を通じ、“新米パパ” になることを報告していた。
「会社員時代からよく、『子供が好きじゃなさそう』『興味なさそう』と言われるんですが、そんなことないです(笑)。NHKの中継先では子供が集まってきてくれたり、こう見えても割と子供に好かれるタイプなんです。
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今は妻とお互いに気になるものを調べ合って、『ベビーベッドはどうする?』など、日々話し合って決めています。僕のほうでは最近、ベビーカーを調べて買いました。うちはCybexのものにしたんですが、『サスペンションがいいんだな』とか、意外とおもしろいんですよ」
10歳ほど年の離れた妻とともに、不妊治療を受け、子供を授かった登坂。その間、衝突などはなかったのだろうか。
「普段からそうですが、うちはケンカになったりすることはありませんでした。お互いの不安を、うまく伝え合えたんだと思います。具体的には、妻がちょっと不安なんじゃないかって思ったら、積極的に話を聞くようにしていました。
僕は、もともと人の話を聞くのが好きなんですよ。そしてNHK時代には人の話を聞くことを、仕事としてずっとやってきていました。その経験をうまく活かすことができたのも、大きかったと思います。
ふつうのサラリーマンだと、日常的に仕事も忙しいですし、夫婦の問題だけにエネルギーを注ぐことができないとか、いろいろスケジュール的・体力的な障害があるとは思うんですけど……。何より、夫婦で気持ちを共有することが大事だったなと、今は思います」
長く第一線で報道にたずさわってきた登坂だが、もっとも緊張した瞬間は、偶然にも「出産」にかかわる場面だった。
「2006年の、紀子さまのご出産の放送を担当したときのことです。前置胎盤で入院されて、帝王切開というのはわかってましたけど、とにかく一大事ですから。
自分にも経験がありませんでしたし、不安ではあったんですけど、先輩キャスターと一緒に、『どういう手順なのか』『母子ともに健康か』など、看護師の方にいろいろ教えていただきました。そこで、無事に子供が生まれてくることが、どれだけ大変なことなのかと実感しました。
そうした報道経験を通じて、鍛えられましたね。報道時代は365日ずっと、気持ちが張りつめていて、ストレスやプレッシャー、言いようのない不安なんかは、ずっと感じていました。朝起きて習慣的にニュースをチェックし、『これはずっとウオッチしておく必要があるな』とか、考えながら生きていました。今は、そこまで張りつめる必要もないので、解放された気分です(笑)」
フリーになって、仕事の内容・スタイルは一変したが、「全力で仕事に取り組む」という姿勢だけは、変わらないという。
「フリーになってからは、やったことない仕事も多いですが、その場で全力を尽くすことを心がけています。ただ今は、それがうまくいったかどうかすらも、わからない状態なんですけど(苦笑)。
よく聞かれるんですが、僕自身はバラエティ番組も、ぜんぜん抵抗はないですよ。最初は報道時代とのあまりの違いにびっくりしましたけど、やっているとだんだんと慣れてくるといいますか、『こういう風にして作ってるんだ』『こういうことが求められるんだ』というのが、少しずつわかるようになってきます。
自分から笑いを取りにいくようなことはないですけど、『やってみてほしい』と求められたら、『なるほど。それを僕がやったら、おもしろいのか』と、やってみることにしています。だから、危険な仕事でなければ『やったことがない』『恥ずかしい』と断ることはないですし、基本NGはないですよ(笑)」