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名曲散歩/小林明子『恋におちて Fall in love』難産で8回も書き直した
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2021.05.09 16:00 最終更新日:2021.05.09 16:00
東京・神田の古いビルの2階。そこには夜な夜な紳士淑女が集まり、うんちくを披露しあう歌謡曲バーがあるという。
今宵も有線から、あの名曲が流れてきた。
お客さん:お、このイントロは小林明子の『恋におちて Fall in love』。不倫の恋に身を焦がす女心、切ないねえ。
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マスター:大ヒットドラマ『金曜日の妻たちへIII 恋におちて』(TBS系)の主題歌として採用された、1985年リリースの小林明子のデビュー曲。作曲は小林本人、作詞を依頼されたのは湯川れい子だった。
お客さん:湯川れい子といえば、ビートルズ、プレスリー、マイケル・ジャクソンなどと交流がある音楽評論のパイオニア。ラジオDJとしても名を馳せ、作詞家としてはシャネルズの『ランナウェイ』、松本伊代の『センチメンタル・ジャーニー』などを手がけた音楽業界の重鎮だよね。
マスター:そう、そんな重鎮がこの『恋におちて Fall in love』に関しては苦労したそうだ。
お客さん:「ダイヤル回して 手をとめた」のフレーズがどうしても譲れなかったんだよね。当時、プッシュホンが一般的になってきたから、テレビ局のディレクターから「プッシュホンに変えてほしい」と言われたという話だよね。
マスター:そう、ダイヤルが戻るまでの短い時間、そこで生まれる女心の揺らぎこそ、詞の命だと言って譲らなかった。まぁ、それは有名な話なんだけど……。
お客さん:苦労話はまだあるんだ?
マスター:もともとの依頼は「劇中に流れる曲なので、邪魔にならない英語の詞で」というものだった。
お客さん:なるほど、最初に書いたのは全編英語の歌詞だったのね。
マスター:そう。小林明子とカレン・カーペンターの歌声が似ていたので、ロマンティックな英語詞を送ったところ、放送開始2カ月前、レコード会社から「英語詞では売れないのでやっぱり1番は日本語で」と注文がついた。
お客さん:なんとまあ。
マスター:そこで、カーペンターズを思わせる明るい日本語の詞に書き直したところ、今度は「不倫がドラマのテーマなので、それをにおわせる内容で」と注文がついた。
お客さん:小出しに注文しないでほしいよね。
マスター:しかも依頼を受けた時期は夏休み。湯川れい子は育ち盛りの息子を抱え、不倫なんて想像する余裕もなかったという。それでも真夜中、書斎に入って、遠くに見えるマンションの明かりを見ながら、それぞれの家庭に、それぞれの人生、ドラマがあるんだなと思いをはせ、詞を書き上げたという。
お客さん:テーマは不倫だけど、小林明子の声だとあまり重々しい感じにならなかったね。
マスター:そんなこんなで、なんと合計8回の書き直しの末に完成した。
お客さん:重鎮がこれだけ苦労した曲、そりゃいいものができるよね。
おっ、次の曲は……。
文/安野智彦
『グッド!モーニング』(テレビ朝日系)などを担当する放送作家。神田で「80年代酒場 部室」を開業中
参考:湯川れい子『女ですもの泣きはしない』(角川書店)/湯川れい子『音楽は愛』(中央公論新社)