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バラエティ界の鉄人「関根勤」デビューから47年ずっとレギュラー番組を持つ男

エンタメ・アイドル 投稿日:2021.05.10 06:00FLASH編集部

バラエティ界の鉄人「関根勤」デビューから47年ずっとレギュラー番組を持つ男

 

 浮き沈みが激しい芸能界。その上、現在はコロナウイルス対策のため緊急事態宣言が発令されており、仕事に支障をきたしている芸能人も少なくありません。そんななか、関根勤さんはデビューから47年、ほぼ半世紀たった今もレギュラー番組が途絶えたことがないのです。

 

 関根さんは、大学3年生の素人時代だった1974年、『ギンザNOW!』(TBS系)の番組内コーナー『素人コメディアン道場』で初代チャンピオンになりました。それがきっかけで事務所にスカウトされ、浅井企画に所属したのです。

 

 

 所属して1週間後には『ギンザNOW!』のレギュラーが決まり、そこから現在まで47年間、1度もレギュラー番組が途切れたことがありません。順風満帆のキャリアですが、意外にも若手時代は仕事が早々に決まったことで逆に苦労した、と以前ご本人からお聞きしました。

 

「当時はタレントになろうなんて思ってないから、なんの修行もしていない大学生ですよ。僕がやっていたのはモノマネとかのピン芸だから、フリートークとか通用しないわけです。司会のせんだみつおさんのアシスタントをやっていたんだけど、なに言っていいかわからなかったの」

 

 しかし、関根さんの苦悩とは裏腹に、後に『ギンザNOW!』で関根さんは司会を任されるようになりました。

 

「司会になってもきつかったね。生放送のオープニングで僕が『ギンザNOW!』ってタイトルコールしたら、途端にディレクターから巻きが入るんだもん。そんなバカな(笑)」

 

 関根さんは、1974年から番組が終了する1979年まで、約5年間『ギンザNOW!』のレギュラーを務めました。その途中の1977年から人気番組『カックラキン大放送!!』(日本テレビ系)のレギュラーに。こちらでも苦悩は続いたと言います。

 

「お客さんの前に出てモノマネをやるんだけど、当時の客席には野口五郎さんのファンしかいないから全然ウケないの。それで半年ぐらい僕の出演部分はオールカット。放送ではオープニングとエンディングだけいるんだよ。視聴者にしてみれば『なんか、くどい顔の奴がいっつも後ろの方にいるな』って(笑)」

 

 関根さんは『カックラキン大放送!!』も、1986年の番組終了まで9年間レギュラーを務めました。カックラキンが終了する1年前の1985年には『笑っていいとも!』(フジテレビ系)のレギュラーとなり、そこから番組が終了する2014年まで、司会のタモリさんに次ぐ最長の29年間もレギュラー出演しました。

 

 ここでも、はじめは戸惑いがあったと言います。

 

「最初は悩みました。僕がこれまでやってきたお笑いって、ジャイアント馬場さん、猪木さん、輪島功一さん、モハメド・アリさん、千葉真一さん、藤岡弘さんのモノマネでしょ。僕がやってきたことって男にしかウケないことなの。『いいとも』のお客さんは9割5分ぐらい女性のお客さんだから、アウェイ感がすごいわけ。それで『どうしたら女の子が笑うんだろう』って……とにかく違和感のなかでずっとやってたね」

 

 しかし、関根さんの悩みは時が解決してくれました。

 

「『いいとも』をやって8年たったとき、娘が10歳ぐらいになってたの。それで客席をパって見たら『なんだ、ここにいる人たちはウチの娘とか娘の友達の数年後だ』と思って。そこでストーンと力が抜けました」

 

『笑っていいとも!』は番組終了の2014年3月31日まで出演し、翌4月から『ミライ☆モンスター』(フジテレビ系)がスタートし、現在もレギュラーとして出演されています。

 

 関根さんが参加すると、番組が長く継続します。さらに関根さんはどの番組も途中で卒業することなく、終了まで出演し続けます。これは番組スタッフから関根さんが信頼されている証しでしょう。

 

 はじめは番組に戸惑いながらも試行錯誤し、レギュラーという安定した地位に慢心せず、常に努力を続けるからこそ成し遂げた47年間の大偉業。バラエティ界の鉄人が、いつまで記録を伸ばすのか楽しみです。

 

取材・文/インタビューマン山下

 1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退。現在はインタビュアー・ライター・お笑いジャーナリスト

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