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土田晃之、ひな壇芸人としての自分を語る。「人生には2回チャンスが来る」

エンタメ・アイドル 投稿日:2021.05.16 06:00FLASH編集部

土田晃之、ひな壇芸人としての自分を語る。「人生には2回チャンスが来る」

東京・月島「焼き鳥 幸侍 尾崎畳店」にて

 

 もんじゃ焼き店が軒を連ねる東京・月島。昨今、「最上階は2億円」ともいわれるタワーマンションが林立し、往時の古い町並みが失われている。

 

「ですよね。ちょっと寂しいですけど、これから行く店を見たらびっくりしますよ。僕も最初に行ったときは激シブでびっくりしましたから」

 

 笑いながら土田晃之が案内してくれた「幸侍」。なるほど、店のたたずまいは、ザ昭和。引き戸を開けると見える、土間と小上がりの店内は10人も入れば満席になる狭小さだ。

 

 

「もとは畳屋さんで戦後間もなく建てられたようです。ご主人が畳屋さんを引退するのでお借りして焼き鳥店を始めました」と店主の小島勝昌さん。

 

「小島さんとの出会いはひょんなことからでした。後輩とフットサルを楽しんだあと、月島で飲んでいたんです。そのとき店にいた小島さんから『すいません、タイムトラベラーの森田仁、知ってますか? 小中学校で同級生だったんです』と声をかけられたんです。

 

『はい、知っています。僕も森田君とは専門学校で同級生でした』と答え、そんな縁で幸侍さんに行くようになりました。焼き鳥がうまいんです」

 

 店はいつも地元の人で賑わっているが、土田たちが顔を見せると先客がスペースを空けてくれる。そんな下町の雰囲気が土田には心地いい。

 

■「人生には2回チャンスが来る」

 

 土田は、東京アナウンス学院演技科タレントコース(現芸能バラエティ科)に在学中の1991年に同級生と「U-turn」を結成。太田プロダクションに所属して『ボキャブラ天国』(1992年~1999年、フジテレビ系)にも出演していた。だが、2001年にコンビは解散した。

 

「相方は第二の人生を考え、30歳前に決断したんでしょう。芸人は40歳になると『今までやってきた20年は無駄だったのか』とか『いつかチャンスが来るかも』とやめる踏ん切りがつかなくなっちゃうと思うんです。

 

 芸人を続けることになった僕もピン芸人になる不安はめちゃくちゃありました。自分がボケてもツッコんでくれる人がいないから『ツッコミがなくても成立することを言わなくちゃなあ』って思うようになりました。

 

 新しい相方を見つける気持ちはなかったですね。そんな簡単にできるものでもないので」

 

20代後半。コンビを組んでいたころ(土田晃之)

 

 土田には忘れられない言葉がある。「人生には2回チャンスが来る。それをつかめるかどうかよ」。所属事務所の副社長の言葉である。

 

 1回めのチャンスは『ボキャブラ天国』のとき。だが、番組終了後、仕事が激減。コンビは解散した。

 

 2回めのチャンスは『銭形金太郎』(2002年~2007年、テレビ朝日系)。同番組でのリポーターぶりが注目され、『世界バリバリ★バリュー』(2003年~2008年、TBS系)などからも声がかかったのだ。

 

「でも、地方ロケが多く、毎日集合場所は羽田空港か東京駅。丸一日かけてロケをしても放映されるのは5分くらい。スタジオではその映像を後輩芸人が見ている。

 

 僕の技量がなかったこともあるんですけど『なんであの映像を使ってくれないんだ』とかストレスがたまり、一年に2回も十二指腸潰瘍になりました」

 

 土田は体のことも考え、「これからはスタジオの仕事だけに絞る」と退路を断った。

 

「そんなとき、『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)に呼んでもらえました。(明石家)さんまさんの番組は展開が速いから『ここで対応できればほかの番組でもやっていけるはず』と思いました。

 

 何度か出演させていただき、次第にほかにも呼ばれるようになりました。スタッフさんからは『さんま御殿のようにお願いします』と言われ自信がつきました」

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