エンタメ・アイドル
名曲散歩/ペドロ&カプリシャス『ジョニィへの伝言』なかにし礼へのライバル心が結実
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2021.05.16 16:00 最終更新日:2021.05.16 16:00
東京・神田の古いビルの2階。そこには夜な夜な紳士淑女が集まり、うんちくを披露しあう歌謡曲バーがあるという。今宵も有線から、あの名曲が流れてきた。
お客さん:お、このイントロはペドロ&カプリシャスの『ジョニィへの伝言』。日本じゃないどこかの国の情景が思い浮かぶ “無国籍ソング” ね。
【関連記事:名曲散歩/小林明子『恋におちて Fall in love』難産で8回も書き直した】
マスター:1973年リリース、ペドロ&カプリシャスの4枚目のシングルで、作詞・作曲は阿久悠&都倉俊一のゴールデンコンビだ。
お客さん:ピンクレディーで日本を席巻する数年前のこと。
マスター:ペドロ&カプリシャスは初代ボーカル・前野曜子のとき、なかにし礼が作詞したデビュー曲、『別れの朝』でいきなりヒットを飛ばした。
お客さん:退廃的でけだるい、大人の歌だったよ。
マスター:そして2代目ボーカル高橋真梨子を迎えて、すぐにヒットしたのがこの『ジョニイへの伝言』。阿久悠はずいぶん気合を入れて詞を書いたという。
お客さん:気合を入れたわけは?
マスター:それは、なかにし礼へのライバル心に他ならない。
お客さん:阿久悠は昭和12年生まれ、なかにし礼は昭和13年生まれ、同世代だね。
マスター:先に売れていたのは、なかにし礼。阿久悠がまだ放送作家をしていた頃、自身が担当する歌謡番組の台本に、本来、歌の部分は空白でいいのに、あえて歌詞を書き写していたという。
お客さん:その書き写していたなかに、なかにし礼の曲があったわけだね。
マスター:ちょうど阿久悠も作詞を始めた頃で、なかにし礼を意識しまくっていた。著書には「他の追随を許さない勢いでヒットを連発し、その一つ一つが、伝統的流行歌とは全く異質の世界を描いていて、新鮮な衝撃を覚えたし、いささかの妬ましさもあった」と正直に記している。
お客さん:だいぶ、まぶしい存在だったんだなあ。
マスター:だから阿久悠は、なかにし礼の詞だけは、一行一行、一語一語を舐めるように読み、行間にひそんでいる何かを探るように、台本に書き写したという。
お客さん:そして『別れの朝』から2年後、ついにペドロ&カプリシャスのために書くチャンスが回ってきた!
マスター:なかにし礼には負けられないという思いから、新しさを求め、工夫を重ねて『ジョニィへの伝言』を作詞したという。そしてこの曲でレコード大賞作詞賞を受賞している。
お客さん:大いなるライバル心が昭和歌謡の傑作を生みだしたわけだ。
おっ、次の曲は……。
文/安野智彦
『グッド!モーニング』(テレビ朝日系)などを担当する放送作家。神田で「80年代酒場 部室」を開業中
参考:阿久悠『愛すべき名歌たち』(岩波新書)/阿久悠『歌謡曲の時代 歌もよう人もよう』(新潮文庫)