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田村正和さん、素人の古畑任三郎のモノマネに「僕って、そんなんなの?」と大爆笑

エンタメ・アイドル 投稿日:2021.05.21 06:00FLASH編集部

田村正和さん、素人の古畑任三郎のモノマネに「僕って、そんなんなの?」と大爆笑

 

 俳優田村正和さん(享年77)が4月3日に心不全で逝去していたことが、5月18日に発表された。多くの著名人が哀悼の意を表しており、業界関係者や一般のファンも、その悲しみをSNSなどに投稿、稀代の名優を悼んだ。

 

 1990年代後半から2000年代前半、テレビドラマ界において田村さんの人気は不動のもので、それはCMでも同様だった。当時トップだった故・高倉健には及ばないものの、年間契約料金は俳優部門で2位となる1本あたり8000万円。「伊藤ハム」「NTTドコモ」「東芝」など、いわゆるナショナルクライアントの多くが、田村さんをCMに起用した。

 

 

「CMの撮影に、白いポロシャツの襟を立てピンクのセーターを肩にかけ、当時数千万円した愛車のベントレーで現われた姿は、まさしく田村正和そのものでした」と語るのは、大手広告代理店のCM制作部門にいたキャスティング担当者だ。

 

「撮影中はスタジオにロッキングチェアを持ち込み、セット直しのときも楽屋に戻ることなく、穏やかな表情でスタッフを見守っていました。さらに撮影が終わるとスタッフに、『よかったらこれから一緒にご飯どう?』と、気さくに声をかけてくれたんです。

 

 あの田村さんからのお誘いですからね、みんな大喜びでしたよ。『大人数だから、みなさん点心でいいかな? ワイワイやれば楽しいだろ』と田村さんが提案して、西麻布の広東料理店で会食することになったんです」(同前)

 

 スタッフ全員との食事会とは剛毅な話。ただ、キャスティング担当者は少し “財布” を心配したという。

 

「私がキャスティング担当者だったので、支払いは会社の経費でと考えていました。参加者は田村さんのほかに、関係者やスタッフで15名ほど。30万円くらいかな、と覚悟していました(笑)。

 

 店に着くと、すでに田村さんは席に座って待っていました。遅れたお詫びをすると、『気にしないで、こっちが勝手に誘ったんだから』と、逆に気遣ってくれました。

 

 食事が始まると、田村さんは『みなさん嫌いなものはない?』と、次々に注文。運ばれてくる皿の数にもびっくりしましたが、本格的な点心はまさに絶品でした」(同前)

 

 田村さんはまわりにいる女性たちに気軽に声をかけ、和んだ雰囲気だったという。

 

「ベテラン女性が新人の子を『この子、モノマネが得意なんですよ』と田村さんに紹介すると、『見たい見たい。やってみて!』と、興味津々で食いついていました。

 

 その子が『どうも、こんばんは、黒柳徹子です』に始まって、浅野温子さんや広末涼子さんなど、田村さんと共演経験のある女優さんのモノマネを披露。田村さんは『あっ、似てる!』と大喜びでした。

 

 さらに、『じゃあ、僕のモノマネできるのかな?』とリクエスト。一瞬の静寂がありましたが(笑)、少しオーバー気味に古畑任三郎のモノマネを披露すると、『僕って、そんなんなの?』と、手を叩いて笑っていました。

 

 最後はすっかり打ち解け、賑やかに宴は終わりました。私が会計しようとすると、『田村様からいただいております』と言われ、ビックリしました。

 

 さらに全員に、香港カステラやカスタード菓子など、豪勢なお土産まで用意されていたんです。食事会の終わりに田村さんから、『こうやってお仕事させていただけるのも、みなさんのおかげだから』と、感謝の言葉までいただいて……。本当にカッコいい方でした」(同前)

 

 キャスティングの担当者は今回の訃報を受けて、田村さんと関係の深かった映画関係者に、その思い出話とともに連絡を取ったところ、こんな話を聞いた。

 

「食事会に田村さんが同席したことに驚いていました。長年つき合った映画関係者でさえ、コーヒーがせいぜいで一度も食事をしたことがなかったそうです。

 

 さらに、長く仕えたマネージャーさんに聞いた話によると、成城の自宅では母屋の家族とは生活が別で、一人で離れに住み、食事も別だったと。

 

 ただ1年に一度だけ、ニューヨークに家族旅行したときは一緒に食事をしたそうで、そのときだけは『俳優・田村正和じゃなくなるんだ』と言っていたのが印象的でした」(同前)

 

 滅多に素顔を見せずにスターを貫き通す。また一人、そんな “巨星” がいなくなってしまった。

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