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片岡鶴太郎が教えてくれた、具志堅用高「ちょっちゅね~」ホントは言ってない

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2021.05.31 06:00 最終更新日:2021.05.31 06:00

片岡鶴太郎が教えてくれた、具志堅用高「ちょっちゅね~」ホントは言ってない

 

 よくモノマネされる元スポーツ選手といえば、長嶋茂雄さん、アントニオ猪木さん、具志堅用高さんの3人ではないでしょうか。

 

 長嶋さんは「ん~どうでしょう」、猪木さんは「1、2、3、ダッー!」、具志堅さんは「ちょっちゅね~」と誰もが知るモノマネ定番フレーズが存在します。

 

 

 ですが、そのうちのひとつ「ちょっちゅね~」は、実は具志堅さん本人は言ってなかったと、具志堅さんのモノマネを得意とする片岡鶴太郎さんから以前お聞きしました。

 

「具志堅さんは『ちょっちゅね~』じゃなくて『そうですね~』って言ってたんです。それを僕が沖縄なまりで『ちょうですね~』にして『ちょっちゅね~』となったんです。そこからさらに『ちょっ……ちゅね~』とためるようになって(笑)」

 

 世界チャンピオンになった具志堅さんがインタビューに答えていたとき、「そうですね」と言っていたのを鶴太郎さんがデフォルメして「ちょっちゅね~」と言い始めたのです。

 

 鶴太郎さんが具志堅さんのモノマネをやり始めた頃、具志堅さん本人はモノマネされることに納得していなかったといいます。

 

「当時、TBSの廊下でガッツ(石松)さんに会ったとき、ヘッドロックされて『鶴ちゃん、具志堅が “俺、ちょっちゅね~なんて言ってない” って怒ってたぞ』と言われて。それでガッツさんに『別にバカにしてるわけじゃなくて、僕は具志堅さんが大好きで尊敬してるんです。だからガッツさんから言っといてもらえますか』って頼んだら『わかった。わかった』って。でも、頼んだのに言ってくれてないんですよ」

 

 そのため、具志堅さんが現役を引退してからもしばらくはモノマネの公認をいただけなかったそうです。

 

「僕がボクシングを始めて協栄ジム(具志堅さんが所属していたジム)で練習してたんですよ。そしたらそのジムで具志堅さんと会ったんです。そのとき具志堅さんは引退してましたが、まだバラエティ番組には出てなくて、試合の解説ぐらいしかやってなかったんです。

 

 だから僕が挨拶しても、シリアスな感じで緊張感がありました。絶対『ちょっちゅね~』なんて言えない空気。そんなこと言ったら、ジムからつまみ出されますから(笑)。だから、ご本人の前ではずっとやってなかったんです」

 

 その後の2010年、鶴太郎さんが所属する太田プロダクションに具志堅さんが所属します。その頃から状況が変わりました。

 

「具志堅さんが太田プロに入って、すぐに2人で温泉に行く旅番組が決まったんです。そのときも僕はまだ怖くて、『どうしよう』と思ってたんですが、ロケ当日、具志堅さんは僕に会うなり(ものまねで)『具志堅です! 先輩! お願いします。どうも!』って(笑)。事務所だと僕が先輩になるので『先輩! お願いします!』と言ってきて。切り替えが早かったですね。それでもまだ本人の前では『ちょっちゅね』は言えませんでしたが(笑)」

 

 本人の前でモノマネができるようになったのは、そのロケが終わった後、具志堅さんとメールアドレスを交換したときでした。

 

「アドレス交換したとき、具志堅さんのアドレスを見たらローマ字で『ちょっちゅね』ってあって(笑)。それで『いや、チャンピオン! 『ちょっちゅね』使ってくれてるじゃないですか」って言ったら、具志堅さんが『もう、ちょっちゅねのおかげですよ』って言ってくれて。そこから本人の前でも言えるようになりました。だから、言えるまで長い時間かかってるんですよ」

 

 鶴太郎さんが具志堅さんの前でモノマネできるようになるまで、結局30年以上の時間を要したのです。そうなったのは鶴太郎さんのモノマネに対する考え方にありました。

 

「僕のモノマネは、似せるより、どう面白く笑わせるかという方向でした。『ちょっちゅね~』もそうですが、近藤真彦さんだったら『マッチで~す!』、村西監督なら『ナイスですね~』とか、モノマネのキャッチコピーを生み出すようにしていました」

 

 具志堅さんのモノマネで「そうですね~」ではキャッチコピーにはなりません。そこで鶴太郎さんは、ご本人に怒られることを覚悟で、面白くてインパクトのある「ちょっちゅね~」を選択したのです。しかし、さすがの鶴太郎さんも本人の前ではできなかったんですね。

 

インタビューマン山下

1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人とライターの二足のわらじで活動している。

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