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女子アナ日下千帆の「美女は友達」レストランウェディングの生みの親
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2021.06.10 16:00 最終更新日:2021.06.10 16:00
女性のキャリアは多種多様。「美女は友達」は、人生を謳歌する女性たちのキャリアインタビューです。
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6月といえば、日本では「梅雨」のイメージが強いのですが、英語圏では、やはり「ジューンブライド」という言葉が最初に浮かぶのではないでしょうか?
今回、ご紹介する美女は、レストランウェディングの生みの親、株式会社アニバーサリーエッセンス代表取締役の齋藤悦子さんです。
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大学入学と同時に新潟から上京してきた齋藤さんですが、当時は雇用機会均等法施行前で、就職する女性が少なかったため、就活せずに茶道や着付けの教授資格を取りながら、ご親戚が経営する印刷会社のお手伝いをすることになりました。
「婚礼印刷や年賀はがきの印刷を最初に手がけた画期的な会社でした。50年ほど前には、日本で初めてイスラエルの画像処理機を導入し、空と雲以外は何にでも印刷できると冗談で言われるほどでした」
斎藤さんが任されていたお仕事は、豪華クルーズ客船「飛鳥」や高級ホテルの婚礼で使用する、ペーパーアイテムの提案でした。
ホテルで何百万円もかけておこなわれる披露宴をいつも見ていた齋藤さんは、コストを抑えて、もっと個性的なウェディングができるのではないかと考えていました。数年後、そのアイデアが実現する日が訪れます。
まだ『ゼクシイ』も創刊されていない1989年、原宿のブラームスの小径にフレンチレストラン「ジャルダン・ド・ルセーヌ」をオープンさせました。このお店が、1990年代に大ブレイクするレストランウェディングの先駆けとなったのです。
「当時は、いまのような情報過多の時代ではなく、みなさん雑誌やテレビから情報を得ていました。私どものレストランが何度もメディアに取り上げられたため、1990年代半ばにレストランウェディングが大ブームになったのです。ピーク時には年商が5億8000万円に上りました」
その頃、情報番組を担当していた私は、何度もレストランウェディングの取材に出ておりますので、よく覚えております。もっと珍しい会場を求めるカップルも増え、遊園地婚やら水族館婚、はてはバンジージャンプ婚なるものまで存在していました。
ところが、2011年に起きた東日本大震災をきっかけに、派手なウェディングは、あまり好まれなくなってしまいました。
招待客の多い披露宴が激減し、売り上げも3分の1くらいに落ち込んだのです。時代とともに多様化したウェディングの今後のあり方を考え、5年前にレストランをクローズしました。
しかし、ここで挫ける齋藤さんではありません。逆境のなか、また新たなアイデアが浮かんできました。その名も「ソロウェディング」。1人でウェディングをやってしまおうというのですから、これもまた画期的です。
婚活難民が多数出現するほど結婚が難しい時代に、せめてウェディングドレスだけでも着てみたいという女性の願望を叶えてくれます。好きなドレスを選び、メイクさんに美しく仕上げてもらった状態で撮影し、8ページほどの冊子にしてもらって、費用は約2万円。
「ソロウェディングには、これまで数々の心温まるエピソードがありました。
78才の女性が初めてウェディングドレスを着て撮影に臨んだり、母の日のプレゼントとしてイケメン兄弟がお母様のために2度目のウェディングを企画したり、パールのネックレスをおばあ様から譲り受けたお礼に、ドレスとネックレスをコーディネートした写真を送ったりと、お客様の目的はさまざまです」
流行や経済情勢の影響を受けながら、ウェディング事情は変化を続けています。結婚が難しい時代かもしれませんが、自分には無関係と思っている方も、ソロウェディングなら豪華な非日常気分を味わえますね。
●日下千帆(くさかちほ)
1968年、東京都生まれ。1991年、テレビ朝日に入社。アナウンサーとして『ANNニュース』『OH!エルくらぶ』『邦子がタッチ』など報道からバラエティまで全ジャンルの番組を担当。1997年退社し、フリーアナウンサーのほか、企業・大学の研修講師として活躍。東京タクシーセンターで外国人旅客英語接遇研修を担当するほか、supercareer.jpで個人向け講座も